プロフィール
河野嘉恵
河野嘉恵

長野市出身

国際コーチ協会(ICA)ポテンシャルコーチ
国際コーチ協会(ICA)認定講師
保育士資格

長野市公立保育園に18年間勤務。
2年間在籍した子育て支援センターでは、延べ700件以上の子育て相談を受ける。
その経験から、子育ての相談スキルを上げたいと思っていた時に、コーチングと出会い、子育ちに関わる大人が元気でハッピーになれるサポーターになりたいと、強く思うようになる。

2012年4月、独立。
現在は、子育てママ対象の講演や、保育園幼稚園の職員研修を行う。
また1対1のパーソナルコーチングセッションを行い、子育てにかかわる人の応援サポーターとして活躍する。
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 3人
QRコード
QRCODE
インフォメーション
長野県・信州ブログコミュニティサイトナガブロ
ログイン

ホームページ制作 長野市 松本市-Web8

頑張り屋の拗ね子ちゃん

2013年12月18日




2カ月ほど前かな?

あるイベントに参加した時の事。


そこにちょーーーー可愛くて、ちょーーーー気配りのできる女の子がいました。

手順の先の先を読んで、がんがん動き回り、笑顔でみんなを盛り上げる事も忘れない。

「○○ちゃんっていいお嫁さんになれるよねーー♪こんな嫁欲しいぜ!」なんて話かけていたら、彼女はふっと寂しそうに笑ってぽつりと言った。






「結構気張ってるんだけどな・・・」





およ?


・・・・・・。



あー・・・・(・∀・)なーる・・・





わかるわその感じ。








めっちゃ空気読んで、気配りして頑張ってるんだけど、周りはそれが当たり前になっていて、なぜか自分は「そういうキャラ」設定されていて、「いやいや、この場をなんとか楽しくしたくて皆のために頑張ってるだけで、ホントは普段の自分は違うのに、なんでそういうことになってんの?」とか思うんだけど、もはやその空気感には抗えないって感じ?

はー・・・・一気にしゃべった!


わかるわかる。
私もそういうタイプだった!!



「普段の自分はホントは違うのに」って思っているから



「よくできた人だね!」って褒められると「いやいやそんなことないの」って否定したくなる。

逆に「あなたがやってくれるから、いいよね」って頼られると「好きでやってるわけじゃない」ってカチンとくる。

でも「じゃあやりたくないならやらなきゃいいじゃん。普段の自分のまんまで」って言われると「それができたらどんなに楽か!」って反論したくなる。






・・・・なんだこの拗ね具合(笑)
どうしろっちゅうねん。







よーーーし!認定しちゃる!!

命名「頑張り屋の拗ね子ちゃん」




これ、私は昔合コンの時によく発動していた気がするなーーー

一生懸命場を盛り上げようと、ピエロに徹しているんだけど、実は内心「・・・疲れた」「あとどれくらいで帰れるんだろ」「めっちゃ頑張ってるし」とか思っていました。

やってあげてる感満載。

だからこの苦労を分かってもらえないと、勝手に孤独感感じたり。

で、その後アプローチしてくる男子に対しては、「こういう私だからアプローチしてきたんでしょ。ホントの私を見たらがっかりするくせに・・・」とか思っていました。





イタい。イタすぎるぜ自分。




まぁこんなのはほんの1例で、職場でもプライベートの人間関係でも散々こんなようなことやってましたな。


何かの大役を押しつけられ、引き受ける→「誰もやる人いないなら仕方ないとは思うけど・・・・また貧乏くじひいちゃったよ」

延々と愚痴や悪口を聞かされ、同意を求められ、曖昧な笑顔で必死にごまかす→「こんなこと、ホントは聞きたくないのに」

彼氏に尽くしても感謝されることなく、逆に手を抜くと彼が不機嫌になる→「なんで私ばっかり・・・。こんなに頑張っているのに、まだ頑張らないといけないの?」





世のため人のため、一肌脱げばなぜか損な役回り。
なのに周りは私の表面的な事しか見てないし、私の苦悩なんてわかっちゃいない。
そのうち感謝される事もなくなり、それが当たり前になってしまうと、もう「嫌だ」なんて言えない。



こういう時の私は、空気を読んでくれる人というか、気持ちを察してくれる人がだ―いすき!だったように思う。
「あ、手伝うよ」「いつもよく頑張ってくれるよね」って言ってくれる人がだ―いすき!だった。

私に対して当たり前のように何かを押しつける人には、「ありがとう」ってたった一言言ってもらえれば、もっと頑張れるのにって思ってた。


そして空気を読まないで自由でいる人が羨ましく、空気が読めない人には腹が立った。

そのくせ「損な役回りを引き受けたのは自分の責任」なーんてことも思っていたから、私と同じように「私の苦労、私の言いたい事を察して欲しい」という遠回りな物言いをする人が、本当に本当に苦手だった。

本当は私にやって欲しいのに、それが言えなくて「私がやるよ」ってこちらが言うまで食い下がる人に対して、「やって欲しいなら、素直に言えよ」なんて思っておりました。はい。←性格悪!笑

でもなんで腹を立てていたかといえば、根本には「私は損な役回りを引き受けても我慢して(やって)んだ。それを文句言わずにやって(あげて)いるんだ」という無意識の思いがあったから。
私はこんなに我慢してんのに、あんたは私ってこんなに我慢しているのよって事を私に気付かせようとしている!性格悪!!って。



性格悪いのどっちやねん(´∀`)



なんかこうやって文字にすると、自分のしてきた事に戦慄が走っちゃうな!!
震((((;゚Д゚)))))))
しかも不特定多数が読むブログに顔出し、名前出しでこれを書く勇気・・・!!




えっと・・



誰かこの勇気を褒めてくんないかな(///∇//)←え?









・・・・こほん=3


頑張り屋の拗ね子ちゃん

なんでこんなに捻くれながらも頑張ってしまうのかといったら・・・






勝ちたい

すごいと言われたい

デキると思われたい

評価されたい

万能でありたい



・・・・・という思いと



上記を失いたくないという思い。






本当はだいぶ前からわかっていた。

「自分がいなくても、仕事も物事もちゃんと動いていくんだろうな」ってこと。

別に自分がわざわざ頑張って仕切ったり、お世話しなくても周りはちゃんと動いていく。
自分が凄くても凄くなくても、評価されても評価されなくても、周りは関係なかった。

そこはちゃんとわかっていた。
わかってはいたけど、でもやめられなかった。


何故なら自分側から見た風景しかその時は見えなかったから。
でも逆に反対側から自分が見えた時、ある事に気がついた。



自分がいなくても周りは動いていく。
でもだからといって、自分の価値が変わるわけじゃない。







これがね


ずーーっとわかんなかった。

いや、多分頭では分かっていたけど、心がわかっていなかった。



そう、多分私はこんな公式に怯えていたんだと思う。


自分がいなくても周りが動く=自分に存在価値はない。

だから自分の存在価値を見せつけるために、勝ちたかったし評価されたかったし認めてもらいたかった。
それをもらうために「やってあげていた」

「やってあげる」ことをしなくなることで、勝てなくなる事、評価されない事、もっと言えば出来ない奴と思われる事や嫌われる事が怖かった。

「なんにもしなくていいよ」と言われるとすごく不安になっていた。

「誰かの役に立ちたい」と強く思っていた。




だって



他人の評価と承認が欲しかったから。







そりゃ疲れるわけよ。

自分の思い通りに、そして思い通りのタイミングで、他人から認めてもらったり励まされたりするわけないもん。

他人の顔色をちらちら見ながら、「ヘーキヘーキ!」なテイで、これ見よがしに頑張ってる感じ?

頑張り屋の拗ね子ちゃん、頑張りどころを間違えてます。


かーーーわーーーいーーーーくなーーーーーーーい!!!!







だからあえて意識的に、ダメな奴になってみた。



「何とかするね」じゃなくて「できない」と言ってみる。

「いいよ」じゃなくて「やだ」と言ってみる。

「やらなくていい」と言われたら、「ラッキー」って思ってみる。

「何やろうか?」じゃなくて「お願いやって♪」って言ってみる。

ダダをこねてみる。

真面目に受け取らないで、茶化したりバカにしてみる。

「気がつかなくてごめんね」は言わないようにする。気がつかないフリもしてみる。

褒められたら、自虐ネタを披露したいのをぐっとこらえて、目を合わさなくてもいいからとりあえず「ありがとう」と言ってみる。

自分の自慢を聴いてもらう。




つまり

「できなくても自分の価値は変わらない」ことを前提に、思い切って「やってあげる」立場から「やってもらう」立場になってみた。

ええ、ええ、コーチングの授業で学んだ「存在価値・自己イメージ」そして「立場と焦点」が生きていたんですな。



「やってあげる」立場に立っていた時は、自分の「やってあげなきゃいけない」と駆り立てられることばっか目についていた。
あそこが足りない、ここはもっとこうしたほうがいいのに。

そして私以上に気がつく人には、自分の役割を奪い取られた気がして、勝手に劣等感を感じていたりした。




でも思い切って「できなくても自分の価値は変わらない」ことを前提に、「やってもらう」立場に立ってみると嫌でも「やってもらったこと」に目がつく。
すると不思議な事に、やってもらえることの感謝がふつふつとわいてきた。

「あーーーこんなにしてもらっていたんだ」
「こんなに許してもらえるんだ」

そして素直に「○○さんて本当に凄い人だな!!」って尊敬の気持ちが湧いた。


もちろん拒否反応というか、冷たい反応もあった。
きっと以前の私だったら「もの凄く勇気を出して、お願いしたのにわかってもらえない!」って悲劇のヒロインになっていました。

でも
いやいや待ちなされ。
って思う事が、少しずつできるようになってきました。

自分がこれまで当たり前にやってきたことと、逆の事をやろうとしているんだから、そりゃ相手も戸惑うわな。突然には受け入れられないわな。葛藤するための時間がいるわな。
自分だって散々葛藤してきたんだから。

それに受け入れられてもらわなくても「できなくても自分の価値は変わらない」っていう前提がある。

ならいっか。


なーーーんてことを実はこっそりやっておりました。






んでもって現在。


相変わらず沈黙があれば、最初に口火を切ってしまうし、誰かの役に立つことに喜びを感じております。
以前ほどではないけど仕切る事もやってるし、盛り上げる事もやっている。
いわゆる損な役回りもやったりしている。





要は見た目、あんまり変わっていません(ノ∀`)




うん、全然変わってないの。

変わってないんだけどね


でもね






全く疲れないし、めっちゃ楽しいですヽ(´▽`)/






もちろん傷つくことも葛藤する事も、悩む事もあるけど「大丈夫」って思えたりします( ´艸`)


少なくとも




今は拗ねてないから(ドヤ!)






まぁでもね
たまには拗ねてもいっか☆笑












同じカテゴリー(人間関係に悩む)の記事
 自分が現実を創りだす~不登校のお子さんのことで悩んでいたYさんの話~ (2014-09-12 22:12)
 本当の気持ちはどこ?2 (2014-09-03 12:00)
 本当の気持ちはどこ? (2014-09-02 16:30)
 正子ちゃんシリーズ子育てママ・先生編 (2013-10-16 21:35)
 私は正しい!その3 (2013-10-15 21:01)
 私は正しい!その2 (2013-10-08 20:13)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。