上田いずみ幼稚園家族参観にてお話させていただきました
本日、上田市真田にある学校法人渋沢学園いずみ幼稚園にて、子育てのお話をさせていただきました。
今回は、家族参観ということでその中の時間に講演会が組み込まれておりました。
幼稚園に着いてみると、遊戯室から子どもたちの歌声や楽器を演奏する音が・・・・
かわいい・・・!(≧▽≦)
いやはや久しぶりの感覚に、うきうきしてしまいました(笑)
そして発表会後お母さんやおばあちゃんを中心に、お話させていただきました☆
皆さん真剣な表情でメモを取ったり、うんうんとうなずきながら聴いてくださったり・・・。
私も一生懸命お伝えさせていただきました。
講演会後、園長先生が挨拶で「私は普段なかなか全員の子どもたちとお話しできません。でも、この話を聴いて園の子どもたち一人一人を意識しながら声をかけようと決めました」とおっしゃってくださいました。
園長先生自ら、ご自分の行動を発表してくださったこと、本当に本当に嬉しかったです。
こんなふうに自分の出来ることを決めて、そして皆の前で宣言する・・・・本当に素晴らしいなと思いました。
そしてその後はおばあちゃんたちとの茶話会に参加させていただきました。
その中で「子育ては一人でやるものじゃなくて、みんなで一緒にやるものだよね」という話になりました。
「迷惑をかけてはいけない」「干渉されたくない」「自己責任」・・・・そんな空気がある今の社会。
そんな中で、「迷惑をかける」「誰かの手を借りる」「他人の話を素直に聴く」「自分の想いを伝える」「感謝する」・・・・そんな作業が自分を含めて難しく感じる中、おばあちゃんの言葉には本当に重みがあるなぁと思います。
ちなみにおばあちゃんとは言いづらいくらい、皆さんお若くていらっしゃいました(ノ∀`♥)
温かい雰囲気、優しさに包まれた幼稚園でお話できたこと、感謝しています♪
ありがとうございました!
オムツが外れるそのわけは・・・2
さてさて前回の続き。
私が勉強させていただいている保育施設の子どもたちが1歳前後でオムツが外れるその理由の続きです☆
さて、前回「自分は子どもをどう扱っているのか?」ということが重要だと書きました。
これはどういうことか。
そもそも何故自分は「トイレトレーニングは膀胱にある程度おしっこが溜まることができる季節の良い時期にするのがいい」という考えを持ったかなんですよね。
改めてなぜこういう考えを持ったか考えてみると、私の場合単に「そう学んだから」「みんなそうやっているから」っていう答えしか出てこなかったんですよ。
それが「当たり前」だったんですね。
これ、全然子どもを見てなかったんです^_^;
目の前の子どもを見ないで、自分の「当たり前」のレールにのっとって、子どもを成長させようとしていただけだったんです。
で、この方法が成功すれば「この方法で間違いない」とある意味自分の中のルーチンワークになっていたんですね。
おむつからちょっと話はそれますが、アメリカの発達心理学者バーバラ・ロゴフの書いた「文化的営みとしての発達」という本にある1枚の写真に衝撃を受けた事を覚えています。
コンゴ民主共和国の11か月の赤ちゃんの写真。
なんとその子、自分の身長の半分以上ある大きなナタを持って、果物を割ろうとしているんです。
で、周りの大人は止めるわけでもなく、見守ってやらせてあげているんですね。
日本じゃ絶対に考えられない!!
こんなことを赤ちゃんがやりたがっているからって、本当にさせようものなら「はぁ?!なにやってんの!!」と非難されまくりです(笑)
私もナタを持たせる勇気はまだありません(´∀`)
でもこういった文化は(1歳で、既に火とナイフを扱えるとか)世界のあちこちで普通に見られる光景なんだそうです。
どうしてこういう文化ができるのかと言うと、子どもは「大人の助け・教えがなければ自分では成長できない」という捉え方ではなく、「自分の興味関心ごとを、大人のサポート(共同作業)により、達成することで成長する」という捉え方をしてるからだそうです。
「この子にはまだ早い、できない」と思うのか
「やってみたいなら、やらせてみよう」と思うのか
大人がこの子はできるようになると信じているか、出来ないと思いこんでいるのかの違いなんですよね。
これが大人が子どもをどう扱うか?ということなんです。
ちなみにここで大事なのは「子どもの興味関心ごと」をサポートするというところです。
興味関心のないところを「できるから!」って無理やりやらせると、また別の弊害が起きちゃうので^_^;
おむつの話で言えば、排泄した時の皮膚感覚が「不快」と感じる事、そしてオマルで排泄してすっきりすること、それを大人が一緒に喜んでくれる事を「快」と感じる事・・・・この繰り返しがあるから、子どもは習慣になっていくんですよね。
(「不快」を感じなければ、「快」を感じることはできませんもんね♪)
こうやって考えると日本のあちこちに溢れている子どもの発達の育児書は、「日本のやり方・考え方」でしかないのだなぁと思います。
でもそれが決して間違いと言う事ではありません。
単に「ひとつの考え方」でしかないということ。
ただこれを「全てが正しい」と思いこんで、その通りに子どもを仕向けようとしたら、子どもも自分も苦しくなっちゃうし、もしかしたら子どもの可能性だって狭めているかもしれないんですよね。
世間のガイドラインにいかに沿うか・・・に焦点を当ててしまうと、「できた結果」ばかりが気になってしまいます。
でも子どもの表情や行動をよーーーく観察して「こんなことやりたいんだ!・・・やらせてみるか・・。ぎゃーーー!!まだ無理だったか!でもこの方法ならイケるかも?」とか「こんなことが面白いんだ!なんで?なんで?」と子どもの興味関心に大人が興味関心を持ってサポートすると子育ての「過程」が楽しくなるんじゃないかなと思います♪
そしてそれが子どもの可能性を広げることに繋がるのだと思います。
そのためにも自分の「当たり前」を1度疑ってみるといいかもしれませんね(*´∀`*)
ただ、そうはいっても全てにおいて、子どもの興味関心ごとにつきあっていたら身が持ちません(笑)
先ほどのオムツの話も、数カ月の期間とはいえ0歳児の赤ちゃんを頻繁におまるに座らせるのを真剣にやったら、気が狂ってしまう人が多いかと(´∀`)
そこは適当に「まぁいっか♪いつかまたね」と流す事も大事ですよね☆
子どものために一生懸命になりすぎて自分がやつれてしまったら本末転倒だし、子どもの要求に100パーセント応えることが良いわけでもないので。
「思い通りにならない」ことも大切な経験ですもんね。
自分も子どもも楽しく♪子育てができたらいいですね!
オムツが外れるそのわけは・・・
先日、子どもにについて勉強させていただいている所で、0~2歳の子どもがいる保育現場に入らせていただく機会がありました。
そこでカルチャーショックを受けました。
長年保育士をやっていた私が、「ありえない」と思っていた事がそこで起きていました。
「ここの子どもたち、1歳前後にはオムツが外れるんですよ。もちろん大便もOKです」
ええーーーー!!!
なんですと!?
そんな話聞いたことない!!
もちろん失敗することはあるけど、大抵はオムツはその時期には外れるんだそうです。
それはなぜか?
その話をする前に質問です。
皆さんは、お子さんの使用後の紙おむつを触った事がありますか?
もしくはCMのように、紙おむつに子どものおしっこと同じ量のお湯をかけて、そのあとを触った事がありますか?
ほんとCMの広告どおり!!
びっくりするくらいサラッサラ!なんですよね!!
ということは
「子どもはおしっこしたことがわからない。皮膚感覚として感じる事が出来ない。排泄感覚がわからない。」
ということなんですよね。
その状態を1年以上・・・もしくは2年近く続けておいて、自我がしっかりしてきた時にいざトイレトレーニングをしましょうとなっても、それは難しいということでした。
なーるーほーどー!
ということで、そこではまだ0歳の時から、オマルに座るということを習慣づけていました。
その子のタイミングを計りながら、マメに座らせていたんですね。
するとおむつの中に排泄するという習慣ではなく、オマルに座る→排泄するという習慣が子どもの中に早くからできるそうです。
私・・・自分の中のトイレトレーニングの「当たり前」を完全に覆されました(笑)
私ね、「トイレの自立が早いことが素晴らしい」ということをメインに言いたいわけではないんです。
いや、もちろん素晴らしいんですけど、でもトイレの自立が早いかどうかは結果論なんですよね。
重要なのは何かと言うと・・・
「自分は子どもをどう扱っているのか?」ということなんです。
一体どういう意味なのか・・・続きはまた今度☆
長野市公立保育園20代保育士さんにお話してきました☆
寒いですね~。
昨日の夜、屋根があるだけの駅のホームで電車を待っている時、ほんの5分の待つ時間の間に、寒さで耳がちぎれるほど痛くなったのにびっくり!
もうそんな季節かぁ・・・
ここへきて、一気に冬たちがドッドッと足音を立てて攻め込んできた感じですね(笑)
さてさてそんな中、8日に私の古巣、長野市公立保育園にて20代の正規保育士さんにお話をさせていただきました。
お久しぶり♪な先生も、初めましての先生もいる中でお話させていただいた2時間。
皆さん真剣に頷きながら、メモを取りながら聴いてくださいました。
そして私はギャグを滑らせながら、充実した時間を過ごさせていただきました。
・・・・もっと笑いの鍛錬を積みたいと思います(真顔)
とまぁ、そんな反省をしつつ、20代ってどんなだったっけ?と自分の古い記憶を手繰り寄せながらお話させていただきました。
私が20代の頃どんな仕事ぶりだったか。
こんなふうに独立して先生たちに研修をするくらいなんだから、さぞかしデキる保育士・・・
・・・だったら良かったんですけどね(´∀`)
もうホント、びっくりするくらい仕事のできない人でした。
1年間の行事、月の行事すら把握しようとせず、その日暮らしで土壇場で子どもを振り回しているような先生でした(汗)
今や園長クラスの先生方、そして退職された先生方に20代の頃、散々お世話になったのですがよく匙を投げなかったものです。
そして当時の保護者の皆さんも、よくぞ大事なお子さんを預けてくださったと思います。
そうやって振り返ると、本当に皆さんの優しさと忍耐に感謝!しかないのです。
だからね
私は現在、どの方向にも足を向けて眠れません!
・・嘘です。寝てます。
足の方向にいる方ごめんなさい(ノ∀`)
そもそも、私はそんなに保育士になりたいと思って保育士にあったわけではありませんでした。
って話すと大抵の方に「え!?嘘!!てっきり小さい頃から先生になりたくてなったタイプなんだと思っていたよ!」と驚かれます。
いえいえ、保育士になりたての頃の私は、夢も希望もなく、ただただ親に言われるがままに就職し(親に感謝!)ヤル気が全くないひどい先生でした。
でもそんなマイナススタートだったおかげで、とにかく悩んでもがいたことを覚えています。
自分の駄目っぷりに、ますます自信をなくしてもおかしくない状況だったのだけど、そこを支えてくれたのは周りのサポートと、何よりも子どもたちの無償の愛情でした。
当時、それでもがむしゃらにやっていた時は、悩みつつも純粋に楽しかったように思います。
でもいつの頃からか、少しずつ楽しめなくなってきたような気がします。
何故楽しめなかったか・・・・
今だから分かるのは、「こうあるべき」というものに縛られ始めた・・・というより「こうあるべき」と自分を縛りつけた頃から「楽しい」が少なくなってきたように思います。
出来る事が増えてくると、出来なかった頃の自分の汚名を返上すべく(笑)ガッチガチに「こうあるべき保育士像」に無意識にこだわっていたんだなーって。
出来ない事は恥。
そう思っていました。
そして不思議な事に、そこにこだわると仕事のパフォーマンスも下がってきました。
人間関係にも悩むようになりました。
ほんと不思議(笑)
でも「出来ない自分は恥。こうあるべき姿にならなければ」という自分が、ぜーんぶ引き寄せていたんだなって今ならわかります。
でもいきなり「出来ない自分を許せ。こうあるべき姿にこだわるのはやめろ」と言われても、なかなかできないもの。
だから、先生方には純粋に「楽しむ」ことをしてほしいなあと思います。
楽しい事はないかな?
面白い事はないかな?
どんなサプライズをしかけようかな?
生き生きと保育の仕事をされている先生はみんな、そんなふうに純粋に楽しんでいるなぁって思います。
そんなことを重ねていくうちに、気がつくと自分のなりたかった姿になれていたりするんですよね。
今回の講演のあとの感想シートには、皆さんの想いが沢山書いてありました。
いっぱいもがいているんだなぁって思いました。
でもだからこそ先生たちの未来は笑っているはずと信じています。
貴重な機会を頂けて、本当に感謝です!
ありがとうございました!