プロフィール
河野嘉恵
河野嘉恵

長野市出身

国際コーチ協会(ICA)ポテンシャルコーチ
国際コーチ協会(ICA)認定講師
保育士資格

長野市公立保育園に18年間勤務。
2年間在籍した子育て支援センターでは、延べ700件以上の子育て相談を受ける。
その経験から、子育ての相談スキルを上げたいと思っていた時に、コーチングと出会い、子育ちに関わる大人が元気でハッピーになれるサポーターになりたいと、強く思うようになる。

2012年4月、独立。
現在は、子育てママ対象の講演や、保育園幼稚園の職員研修を行う。
また1対1のパーソナルコーチングセッションを行い、子育てにかかわる人の応援サポーターとして活躍する。
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いいよ いいよ

2014年09月24日




元来、生真面目な私。




いろんなことには、「覚悟」が付いて回るもんだとずっと信じてた。







人を信じる時には、傷つく覚悟を



自分らしくあるためには、傷つける覚悟を



挑戦するときには、失敗する覚悟を



そして幸せになる覚悟を













(´∀`)・・・・。













重 い。




重い・・・・


重いんだよ・・・!_| ̄|○ il||li







そうはいってもこの「覚悟」という言葉が、すっと自分の中に入る人もいる。


言葉の定義やイメージは人それぞれだから、なんら不思議じゃない。


「覚悟」という言葉そのものが悪いわけじゃない。









どうやら


私の場合はどうにもこうにも、覚悟という言葉に、根性とか責任みたいなイメージが付きまとってしまうらしい。

で、覚悟を持とうとすればするほど、身体にぎゅっと力が入ってしまうのだ。

最初の一歩だけでなく、踏み出したその先も足が鉛のように重くなる。









もし「覚悟」を持ってやって、例えば失敗した時、私の内面に何がおきるんだろう?


自分の中の「覚悟の内訳」ってやつを考えてみた。






そしたら出てきた出てきた。





自分に上から目線で説教する自分の姿が。








傷ついた凹んだとか思ってるけどさー、それ、自分で決めたことだよね?

そうなってもいいって、わかっていたことだよね?

今さら何言っちゃってんの?

あんたの覚悟って、そんな程度なの?

だったら最初からするんじゃないよ。











あの・・・・









優しくしてください( ;∀;)






自分としては叱咤激励のつもりなのだろうけど、傷ついた心にダメ出しは相当キツイ。




まるで傷ついちゃダメみたいじゃないか。







だから私は今、「覚悟」という言葉の代わりに、「いいよ」という言葉を使っている。







泣いてもいいよ~


怖くなって動けなくなってもいいよ~


傷ついていいよ~


凹んでいいよ~


パニくっていいよ~


不安になっていいよ~


寂しくなっていいよ~


後悔してもいいよ~






そしたら単純な私が「あらそう?(・∀・)じゃ、お言葉に甘えて♪」と軽やかに1歩踏み出せるのだ。




で、その結果こうなる。







「本当に凹んじゃったじゃないかぁぁぁぁ!!!(っTДT)っ・:∴」



やっちまった!みたいな。






なのでそれすらも「いーよいーよ。たーんと凹みなされ。たーんと。」と言ってあげる。




そうすると単純な私は、そっかぁ・・・それでいいのかぁ・・・とえへへと恥ずかしそうに笑ったのち、ぼろぼろ涙があふれ出す。



そう。



とにかく私はよく泣く。


1人でも人前でも。





自分の中の膿を出すように

雪解けの川の流れのように






そしてもれなく目の前に、ティッシュの山がそびえたつのだ。

お世辞にもその光景は美しいとは言えないのだが。










ずっとずっと長いこと、私は自分の中にネガティブな感情を抱いているのが本当に嫌だった。


怒りや憎しみ

恐怖

劣等感

寂しさ



そういう感情を持つ自分が苦手で仕方なかった。


だからそういう感情を持たないように、常に明るい優しい方向に自分を持って行ったし、「覚悟」という言葉を使って自分を奮い立たせてきた。





ずっとずっと巧妙に自分をだましてきたのだ。





でもどうしたって隠しきれるもんじゃない。

だって自分だもん。


その場しのぎで欺くことはできても、本当はちゃんとわかってる。





ネガティブで、みじめで、えげつない自分もやっぱり私だった。




でもそこを「いいよ~」ってやると、「覚悟」で自分に喝を入れる必要がなくなったのだ。


喝を入れなくとも、自然に体は動く。

力を緩めて、自由に選択できる。






そうはいってもまだまだぎゅっと力が入ってしまうこともある。

この文章だって、昨日の朝方から書いてるのに、なぜか急に怖くなっていったん止まってしまったから。






うん、


それでも言おう。






それでいいよ~ヽ(´▽`)/










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それでいーんだ☆

2014年09月24日





友達からとっても面白い話を聴いた。






友達の子どもRくんは、保育園に通う年少さん。

ここのところ登園すると、必ず決まった先生に抱っこされてお母さん(友達)とバイバイするのが恒例だったとのこと。


そしてつい先日のこと、いつものように保育園に登園すると、Rくんと仲の良い友達のSくんが、何やら他のお友達とトラブルがあったようで、泣いていた。


「Sくん泣いているよ。大丈夫?って聞いてあげたら?」


友達は息子のRくんに声をかけるものの、Rくんは朝のお母さんとの別れ際ということもあり、もじもじして声をかけられない。


友達は、まーしょうがないか・・・と思い、いつもの先生の所へ行こうとした。

するとRくんは、「M先生のところへ連れてって」と突然言い出した。



珍しいこと言うな~と思いつつ、友達はM先生のところへ行き、「M先生ごめんね~。Rが今日はM先生のところがいいっていうから連れてきちゃった」と、Rくんを預ける。

M先生は「いいよいいよ、おいで☆」と快くRくんを抱っこすると、Rくんはスムーズにお母さん(友達)と別れることができた。


そして友達は背中を向けて、帰ろうとしたら何気にRくんの声が聞こえてきたらしい。



「M先生、あのね、Sくんがお友達とけんかして泣いてるの!」




実はM先生は、サバサバした元気の良い先生とのこと。

Rくん、M先生ならSくんのことを何とかしてくれると思ったのだろう。



おそらくRくんは仲のいいSくんが泣いていて、心配だったけれど、自分のことも手一杯。

「大丈夫?」なんて聞けるほど、心の準備もできていない。(だってママとこの後バイバイしなきゃいけないのに!)

そこで頭をフル回転。

・・・あ!一番この状況を打破してくれそうな先生がいた!よし!何とかしてもらおう!


・・・・と考えたかどうかは本人にしかわからないことだけれども、その知恵に大笑いしてしまった。



すごいなぁ。

そんな方法、思いつかなかった。

Rくんさすがだぜ!









そしてこの話を友達から聞いた時、本当にこれでいいんだなぁと思った。





こんなふうに、誰かが泣いているとき、子どもは様々な反応をする。







「大丈夫?」と泣いている子に聞く子もいれば



「なんでそんなことするんだよ」と相手に突っかかる子もいる。



「どうしたの~?」と事情だけ聞いて、「そうなんだ」と自分の遊びに戻る子もいれば



事態に全く気が付かずに遊びに夢中になっている子もいる。



特に反応はしなくても、事の成り行きをじっと観察している子もいれば



目の前のことを問題視しない子もいる。



そしてRくんみたいな子もいる。






それが「当たり前」なのに、私は保育士時代、「○○くんが泣いているのに、なんで何もしようとしないの!?」と子どもに怒り狂っていたことあったっけ。


いやいや、本当に子どものことをわかろうとしてなかったの、お前やんけ☆( ̄∀ ̄)と今なら盛大にツッコむであろう。




その子それぞれに、見え方や捉え方は違うし、受け取るタイミングだって違う。

自分の表現の仕方だって違う。



「なんでお友達の痛みをわかろうとしないんだーー」と吠えていたのは、単純に自分の決まり事(他人の心に寄り添って理解しようとするべし!思いやりの心を持つべし!)を子どもにぶつけていただけだった。


わかってあげられないのはバツ!と子どもを責めるんじゃなくて、私は私で自分の心のままに「○○くんどうしたのかな?」と寄り添っていればよかったのだ。

で、「どうしたらいいかなぁ?」って子どもたちに頼っていればよかったのだ。




心配してやれ、それが思いやりなんだなんてわざわざ一律に教える必要なんてなかった。




きっと




この子たちに思いやりがない、自分にはそれを教える力がないって不安だったんだろうなぁ。


ないと思っていたから、あるなんて思えなかった。



もっと子どもを、そして自分を信頼してて良かったのに。





本当はみんなそれぞれで、そのまんまで大丈夫だったんだ。









そんなことに気付かせてくれたRくんに、今度会ったら「師匠と呼ばせてください!」とでも言おうかな( ̄∀ ̄)


なんて反応するのか楽しみだ。













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戦いを終わらせよう

2014年09月09日


かなり前の話になるけど


スーパーでギャン泣きしている3歳くらいの男の子がいた。


どうやら欲しいものを買ってもらえなくて、大泣きしているようだ。


お母さんは必死になって大声で子どもを説得している。


「言ったでしょ!今日は買わないって!」

「泣かない!」

「そんな風に泣くならもう連れてこないから!」


お母さんが必死になって説得すればするほど、子どもの声がますます大きくなる。

お母さんの声も大きくなる。






ああ・・・

わかるなぁこの感じ。

いつ終着点を見いだせるかわからない戦い。



子どもがわかってくれれば終わるのに。

そう思い込んで必死になって正論を振りかざし、威圧してしまう。

でもそれをすればするほど、子どもは言うことを聞かない。

とんでもなく疲れる。



いつになったら、自分の思い通りにならないことをわかってくれるのか。

私は正しいことを教えているんだ。

わからせてやる。





私もこんなことを何度も繰り返してきた。

子どもとの戦いは本当にエネルギーを使う。




でもあるとき気が付いた。












この子が戦っているのは、私じゃない。


自分なんだ。





ここに気が付いた時は本当に楽になって、それからは私自身、心に余裕が持てたように思う。




*****




当時年少児だったSくん。

感情豊かで動きも早い。

げらげら笑っていても、次に気に入らない出来事が起きたその瞬間に、友達に手を出して、どこかへ飛んで行ってしまう。


そして絶対に謝らない。


また集会でも落ち着くことができず、飽きるとどこかへ行ってしまうような子だった。




私は担任ではなかったけれど、そんなSくんが毎日のようにトラブルを起こしていたのは知っていた。




ある土曜日。

当番制で出勤日だった私は、Sくんのいる年少クラスを担当することに。

Sくんは最初こそニコニコしながら一緒に話したりしていたけど、次第に私を試すようにパンチやキックを繰り出してきた。



Sくんは私が何をしていようが構わない。
そして「Sくん、痛いよやめて」と言えば言うほど、ますます激しく手を出してくる。



そこでとうとうSくんの腕を掴んで、まっすぐ見つめながら「Sくん、こういうことされるのは先生すごく嫌なんだ。やめてくれる?」と静かに話した。

するとSくんは、ニヤニヤしながら体をくねらせていたが、私が本気だということが次第にわかると、段々その表情が苦しそうになってきた。

そしていよいよ耐えられなくなり「やだーーー!!」と叫び、その場にひっくり返った。
そして手足をバッタンバッタンさせながら、近くのものをブンブン投げ飛ばし始める。




こりゃ危ない。





「ハイ、みんな悪いねーーー。ちょいと遊び場所変えてくれるかなぁ?」
私は近くにいた子たちに、物が当たらない場所に避難するようのんびりした口調で、声をかけた。

「Sくん、どーしたのぉ?」
子どもたちものんびりした口調で質問する。

「うんとね、Sくん自分と頑張って戦っているからさ、ちょっとこのままにしてあげてくれる?しばらくしたら、落ち着くと思うから」

「わかったぁ~」
なんの疑問も持たずに、いそいそと作りかけのブロックを持って移動する子どもたち。


さすがの適応力(笑)





5分もすると、さすがに年少児であるSくんの体力はなくなり、床に突っ伏したまんまブツブツ「やだーやだー」と唸るだけになった。




うん、やだよね。




先生にかまってもらいたい気持ち。

自分の思い通りに振り向いてもらえない口惜しさ。

イライラを隠しながら、楽しそうにふるまってパンチしてしまう衝動。

それを止められた時の否定されたような悲しさ。

うまく言えない歯がゆい気持ち。

わかってもらえない怒り。





全部ぐっちゃぐちゃになったよね。




「お疲れさん」

私はSくんを抱っこした。

ティッシュで鼻をかんでやり、お茶を飲ませる。

そしてSくんに「先生はS君が大好きだから、パンチされるとすごく嫌なんだ。でもこうやって抱っこするのは大好き。今度から先生に気が付いてほしかったら、抱っこしてって言ってくれる?」


Sくんは素直にうなずいてくれた。







3分後



「先生抱っこして」(早っ!)


「いいよ。抱っこしよ。でもね、先生はS君だけじゃなくてみんなの先生だから、10秒抱っこでいいかな?」

「うん」


S君を抱っこしながらゆっくり10秒数えて「おまけのおまけのきしゃぽっぽ~♪Sくんだーい好き!」と言ってから、おろしてあげる。






5分後


「先生抱っこして」(早っ!)



再び10秒カウント。大好き宣言をしてから降ろす。





そんなことを5~6回繰り返した。

するとだんだんその間隔が、5分、10分、30分と長くなった。

最後、午後になると1回も抱っこをお願いすることなく、S君は何のトラブルも起こさずにその日過ごすことができたのだ。






*********







実は上の文章は、子育てママ向けのセミナーでよく話すエピソードの一つ。

これを話すと「そっかぁ」と思う方もいれば、「そうは言っても、いざとなったらこんなふうに対応できない。目の前で子どもが癇癪おこしたり、兄弟げんかをしだすと、カーッとなって気が付くと怒鳴ってしまう」という方もいる。





怒ってはいけないと思っているのに怒ってしまう。

わかっているのに止められない。







きっとそれは、お母さん自身が自分と戦っているからだ。






冒頭に書いた、スーパーでわが子を怒っていたお母さんもきっとそう。


お母さんが戦っていたのは、目の前の子どもじゃない。

自分自身だ。







子どもに自分の思いが伝わらない悲しさ。

今この瞬間、世間が自分たち親子を迷惑だと思っているんじゃないかという恐れ。

躾がなってないと思われているのではないかという不安。

どんなに必死になっても事態が変わらない無力感。





まるで自分がダメかのような現実を突きつけられている気持ちになる。





私もそうだった。

同じ学年なのに、隣のクラスは落ち着いていて、自分のクラスは落ち着いていないという劣等感。

行事のたびのプレッシャー。

「もう年長なのに」「もう年中なのに」の言葉にいちいちびくびくする自分。





保育士としての力不足を見せつけられる現実に、「そうじゃない。こんなんじゃだめだ。何とかしろ自分!」と必死になって戦っていた。







この場を収めなきゃ

何とかしなくちゃ

だから

「できない人間のレッテルを貼らないで」









いったい私は誰に証明したかったんだろう。

そんなことする必要なんてどこにもないのに。








本当は最初から戦う必要なんてなかったんだ。


目の前の子も、自分も、ただ「痛いよ。苦しいよ。悲しいよ」って思っているだけなのだから。








もう戦線離脱しよう。


そして「思い通りにならなくて悔しかったね。悲しかったね。私もだよ」ってぎゅうっって抱きしめればいい。








きっとそれだけでいいんだ。







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究極の「与える」その1らしい(あといくつあるのかは不明)

2014年09月04日

昨日の夜、FBを見ていたら、こんな言葉が視界に飛び込んできた。


究極の「与える」のひとつに、「助けてもらう」ことがある
なぜなら助けた人は、その瞬間に大きな幸福感を与えてもらえるから



思わず深いため息。

そうそうそうそう。

昔はこれが全然わかんなくて・・・・というより、助けてもらうことが相手を幸せにするなんて思いもよらなくて、苦労したなぁ・・・としみじみいろんなことを思い出してしまった。

正直今も「助けてもらう」ことに若干の苦手意識がある。


でもきっとこういう方は多いのではないだろうか。
いかんせん、日本人は「人様に迷惑をかけてはいけません」と育ってきた人が圧倒的に多いだろうから。



私が保育士2年目の頃。

初めての一人担任で、27人の年中クラス。
今思えば個別サポートが必要なお子さんが3~4人いたのに、そこへクラス運営がさっぱりわからない2年目の担任。

クラスは学級崩壊寸前の状態でした。



そのクラスの中に、ともちゃんという女の子がいました。

ともちゃんは、複雑な家庭の事情もあり、どこか寂しさを抱えている女の子。

友達がいないわけではないけれども、保育室の隅でぽつんと一人で立っていて、涙を浮かべて私のほうをじっと見つめていたりすることもよくありました。


でも当時の私はクラスを回していくことで精いっぱい。
なかなかともちゃんに関わることができませんでした。


本当は抱っこしてあげたい

ゆっくりお話を聴いてあげたい

一緒に遊んであげたい


でもそれはままならず、他のことで忙殺される毎日。




そこで私は、ともちゃんとは関われないけど、自分からサインだけは送ることにしました。

遠くでも目が合えば笑顔で手を振りました。
すれ違う時は必ず耳元で「ともちゃん、大好きだよ」と声をかけました。


そんな小さなことを毎日やり続けました。





そうして月日が経ち、3月の年度末。

私は他の保育園への異動が決まりました。



その時、誰よりも一番泣いてくれたのは、実はともちゃんだったのです。



私は決してともちゃんとゆっくり関われたわけではなかったし、特別何かをしてあげたわけではありませんでした。





そんな中でも、ともちゃんは私の小さなサインをちゃんと受け取ってくれたのです。




とてもとても嬉しかった。






でも








私はそれ以上に後悔をしました。





当時、クラスの運営が大変だったのは事実です。

でもその状況を改善しようと、何かをやったわけではありませんでした。







「助けてください」






たった一言、周りの先生にお願いすればよかったのに。






わかってはいたけど、わからないふりをしていた。

どうしてもどうしてもその一言が言えなかった。



だって言ってしまったら、自分の無能さを認めてしまうことになるから。

それが何よりも恐怖で仕方なくて、私はともちゃんとの時間よりも、自分の体裁のほうを大事にしてしまったのだ。




おそらく周りの先生には、私のできなさ加減もプライドの高さも、とっくにバレていたに違いないのに(哀れだ自分)





もしあの時の自分が、「助けてもらうことは、相手に幸福感を与える」ということを知っていたとしたら・・・・


きっと情けなさや、できない口惜しさ、恥ずかしさで動けなくなっていた自分が、「相手に幸福感を与える」という大義名分を掲げて、1歩前に踏み出す勇気を持てたかもしれないと思う。

たとえ「相手に幸福感を与える」という大義名分があったとしても、そのおかげで自分のつまらないプライドを、自分の弱さやダメさ加減を見せる勇気に変えられたとしたら

そして思い切って「助けてください」と言えたとしたら


頭ではなく心で、「ああこれでよかったんだ。ダメな私でもできない私でも良かったんだ」と全身で感じることができたと思う。





そんなことをつらつらと考えていたら・・・・・当時恐怖で動けない中、必死で頑張っていた自分がなんだか可愛くなり、そして改めて小さなメッセージを受け取ってくれたともちゃんに、感謝だなぁと思いました☆




ちなみに冒頭の言葉の主は、晃ちゃんこと本田晃一さん。(ちなみにここをクリックした方は、ぜひ右側のプロフィールをご覧になっていただきたい。超大ウケ)

楽しく無邪気に、そしてハッピーな人生を送る達人で、私は晃ちゃんから多大な影響を受けていますヾ(´∀`)ノ



そして最近の晃ちゃんの著作はコチラ

日本一の投資家から教わった人生でもっとも大切なこと



今回の記事のテーマでもある「与える」ということについて、日本一の投資家である竹田和平さんの教えを、晃ちゃん節でわかりやすく、ハートフルに伝えてくれています♪

大人気ゆえ、アマゾンさんでも入荷待ちの状態が続いていたのですが、最近入荷されたらしいですよん☆
この本については、後日またブログで語りたいと思う!(どやぁ)






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気づけなかった、伝えたかった

2014年08月29日



仕事で文章を書きながら、ふと昔・・・そう、あれはまだ保育士になって2年目の頃のこと。

当時担任していた、たいちゃんという男の子のことを思いだした。



たいちゃんは頭のいい子だった。

周りをよく見て、行動できるし、自分のこともハキハキ話すことができる。

優しいところもあるし、とっても活動的。





でもたいちゃんは、クラスに慣れると、状況をわかっていながらわざと悪さをするようになった。

完全なる確信犯。


注意されても叱られても、その時は大泣きするけど、再び悪さを繰り返す毎日。



なぜだろう?

こんなに物事をわかっている子が、なぜ同じ過ちを何度も繰り返すんだろう?


当時の私は不思議で仕方なかった。





でもある時原因がわかった。

たいちゃんは、母子家庭で一人っ子。

お母さんは当時20代。

「先生、この子が悪さをしたら、ビシッと叱ってやってください」と言うくらい、真面目でしっかり者だった。

たいちゃんを一人前にしっかりと育てたい気持ちがひしひしと伝わってきた。


・・・そう。

お母さんはたいちゃんにとても厳しかったのだ。




当時の私は思った。

そうか。たいちゃんはお母さんに甘えられなくて、そのうっ憤を保育園で晴らしていたのだと。

きっと本当はお母さんに甘えたかったに違いない。




そうとなれば、言いづらいけど現状をお母さんに把握してもらう必要がある。

私は懇談でお母さんに、たいちゃんの保育園での様子を伝えた。


お母さんはショックを受けていた。

「家ではそんな姿、見たことないんです。本当によく言うこと聞いてくれるし、お手伝いもしてくれるし・・・。」

それを聞きながら、私はやっぱりなぁと思った。


たいちゃんは家では本当の自分をさらけ出せないんだ。

普通子どもって、家ではわがままだけど、外ではそれなりにいいところを見せようと頑張るもの。

でもたいちゃんはそれができないんだ。

これ問題だよ。と。



この時は、保育園でも様子を見守りますね~おうちでは、ゆっくり甘える時間も作ってくださいね~的な流れになったように思う。

お母さんは神妙な表情で受け止め、その後ちょくちょく相談したりしてくれた。





表面上は、なんのトラブルもなかったけれど・・・・でも。


今だったらもっと違う伝え方をしていた。






そもそも



家ではお利口にして、保育園で悪さをすること・・・・今の私が担任なら、それを問題にはしない。

このたいちゃんの姿は、決して「問題」ではなく、子どもとして「当然の姿」だったんだと今ならよくわかるのだ。


それを踏まえたうえで、お母さんにきっとこう伝えたと思う。







きっとお母さんを守りたかったんだね。


お母さんのことが大好きだから。








保育園で何度注意されても、叱られても言うことを聞かないたいちゃん。

でもお家では絶対それをしなかった。


それはきっと厳しさのレベルが違うといった問題じゃない。
だって保育園で叱られるというのは、子どもにとって大勢の前で恥をかくこと。
たいちゃんほど周りの空気を読む子なら、相当きつかったはず。



たいちゃんは、家ではお母さんを困らせないと決めていたんだと、今なら思えるのだ。

お母さんに我慢させられていたのではなく、たいちゃん自身が決めていたんだ。




もしかしたら反抗したら愛されないかもという恐れはあったかもしれない。

でも仮にそうだとしても、間違いなく根っこにはお母さんが大好きという想いがあったはず。

お母さんの笑顔が見たくて、お母さんを喜ばせたかったはず。





だから保育園では、お友達が悪ふざけをしているのを見て、普段やれない悪さを自分もしたくなったんだ。

ちょっといい子ちゃんでいることが疲れちゃったんだよね。

お母さんのナイト役は、やっぱり大変だもの。





だからタイムマシンに乗って、当時のお母さんに伝えたい。






お母さん、たいちゃんは大丈夫。

だってこんなに心優しい子に育っているもの。



きっとたいちゃんに対して、こんなお母さんで申し訳ないって思うかもしれない。

けれど、そんなお母さんだからこそ、たいちゃんは大好きなんだよ。

だからたいちゃんの愛情をしっかり受け取って、ありがとうって伝えてね。

そしてちゃんとした親になろうと、辛い顔で頑張ることよりも、笑顔でたいちゃんと過ごすことを大切にしてね。

もっとお母さんはわがままに、自分を大事にしていいんだよ。

そしたらきっとたいちゃんも、お母さんの笑顔を守るお役目を手放して、素直に自分を出せるようになるからね。



保育園では、誰かを傷つけたときは注意するけど、時には片目つぶって見逃すよ(笑)

たいちゃんには息抜きが必要だからね♪









伝えられなかったこの言葉



当時のお母さんには届かなかったけれど



今子育てに悩むお母さんたちに


そして今似たような問題に悩む先生たちに届きますように。












  


自分のことはなかなかわからないもんだ2

2014年08月15日




前回の続きです

自分のことはなかなかわからないもんだ







さて、飲まず食わず遊ばず眠れずだったなっちゃんが、入所して1週間たったある日、とうとう・・・とうとうお茶の入ったコップに初めて手をかけたのです!


その時の図がコチラ



わたしはこんな感じでコップを手にしておりました。





で、この時のなっちゃんは、コップをこのようにつかんだのです。





・・・・おわかりいただけるだろうか?


こともあろうになっちゃんは、親指を下にしてコップの取っ手をつかんだのです。


実際やっていただけるとよくわかると思うのですが、この状態で私が手を離せば、当然のことながらコップはひっくり返り、お茶はこぼれてしまいます。


絶体絶命の大ピンチ。



でも人ってこういう時、ピンチを切り抜けるための知恵を絞るどころか、単純に慌てちゃうのよね。





「なっちゃん!そんな持ち方したらお茶がこぼれちゃう!(゚Д゚;)」

・・・・思わず叫んじゃったよ。






するとなっちゃん、1歳児とは思えぬ鋭い目つきでキッと私をにらんだかと思うと、パーーーーン!!と一瞬にして私の持っていたコップを叩き落とすという大技を繰り出してきたのです。




その瞬間




私の中で張りつめていた何かがプチッと切れました。





瞬間的になっちゃんを膝からおろして床に座らせると、私は正座になってなっちゃんと向き合いました。





こんな感じ






そして半泣き状態でこう叫んだのです。


「先生だってね!一生懸命やっているんだよ!!でもどんなに頑張ってもなっちゃんの要求に100パーセント応えられるわけじゃないんだから!!」





・・・・たっぷり2秒、ぽっかーんとするなっちゃん。

が、次の瞬間火が付いたように「ぎゃああああああああああああああああああ!!!」と大泣き。


その泣き声にはっと我に返った私は、慌ててなっちゃんを抱き上げて「ごめんねごめんね!一番つらいのはなっちゃんなのに!」と必死で謝るものの、当然なっちゃんは泣き止まず途方にくれてしまい、園長先生に泣きついたのでした。




もうこの時の自己嫌悪といったら!

これをやったのがお母さんならわかるのですよ。24時間子どもと一緒にいれば、こんな状態になっても不思議ではないと思うのです。

でも自分は保育士なのに。

これは仕事なのに。

保護者の方は、きっと心配しながら、それでも預けてくれたはずなのに。



なのに1歳の赤ちゃんを相手に何をやっているんだ私は・・・とめちゃくちゃ落ち込みました。

落ち込むうちに、保育士として・・・というより、人間的に間違っているような気がしてきて、「私・・・赤ちゃん相手にこんなことでいちいち感情爆発させていたら、この仕事をしちゃいけないのかもしれない」という考えすら頭をよぎりました。

それくらい当時の私は、とことん落ち込んでおりました。





・・・で、


そのことを、保育士ではない子育て中の友達に話したのですよ。


きっと同じ立場の保育士に話したら「あー・・そっかぁ。やっちゃったね。仕方ないよ。また明日から可愛がってあげれば大丈夫だよ」と励ましてもらえそうな気がしていました。

でも当時の私は、自分が許せなかったので、親の立場である友人に話して、ちゃんと叱ってもらいたかったのかもしれません。
(どんだけマゾだったんだ自分)




でもその友人は私の話を、最後までうんうんしながら聞いた後、たった一言、こう言ったのです。















「かえみちゃんって優しいんだね。たったそれだけで済んだんだ」

















・・・・へ?











自分の中の「私ってなんてダメな人間なんだ」という世界がガラガラと音を立てて壊れていった瞬間でした。



そしてそれまで「自分はこの仕事をやってはいけないのかも」とまで思い詰めていた重苦しい気持ちが一気に吹き飛び、「よし、また明日から頑張ろう」と素直に心から思えたのです。



なぜあの時、あんなふうに素直に「頑張ろう」と思えたのか、今ならよくわかります。



友人は、私がやってしまった行為に対して「それはやってはいけないこと」を前提に、叱るわけでも励ましたわけではありませんでした。

私がやってしまった行為の中にある、私の愛情に気が付いてくれたのです。




でもこれ、落ち込んでいる最中ってなかなか気づけない。

失敗して自己嫌悪に陥っている時ほど、なかなか自分の中の本当の想いや愛情がわからない。

だってマイナスばかりが大きく見えてしまっているから。






でも今だったら


今だったらわかるのです。





友人が教えてくれたように、やってしまった行為の中に、実は愛情があったことも

そしてそんなに自分を追いつめて、自分を責めたかったのも、すべてはなっちゃんや保育士という仕事への愛情からきていたんだなとわかるのです。


本当はなっちゃんを傷つけたくなかった

本当は保育士として、しっかり仕事をしたかった



そんな自分の本当の気持ちに気づけたとしたら、その本当の気持ちを大切にすればよいと思うのです。






そんなことに一つ一つ気づけた頃から、私は失敗することや、誰かに迷惑をかけてしまうこと、傷つけてしまうこと・・・怖さが半減したように思います。
なぜなら必要以上に自分を責めなくなったからです(´∀`)



そうはいってもまだまだ行ったり来たりではありますが(笑)

でもそれすらもね、良しとしていいんじゃないかなーと思っております☆





あ、ちなみになっちゃんではありますが・・・



その事件から1週間後、憑き物が落ちたように「保育園大好きっ子」になりました(笑)
お母さん曰く、朝になると早く保育園に連れて行けと大騒ぎだったそうです(´∀`)






私、どうやらなっちゃん試験官による2週間の試用期間を合格できたみたいです。


  


自分のことはなかなかわからないもんだ

2014年08月11日



失敗したとき

うまくいかなかったとき

誰かに迷惑をかけた時

誰かを傷つけてしまった時





地球の裏側まで穴を掘れるんじゃないかっていう勢いで、落ち込んで落ち込みまくって、なかなか立ち直れない時ってある。

そこまで凹んだあとで「さぁあとは浮上するのみ!」と思えたらいいけど

「だからやっぱり私はダメなんだ」と思って、何をするにも、何を伝えるにも、「これでいいのかな?」と不安におびえて自信を無くしてしまってたとしたら


それはやっぱり偏った自分しか見えていない時なんじゃないかなぁと思うのです。




だいぶ昔の話ですが、私が初めて0歳児クラスの担任になれた時のことです。


それまでの私は、幼児担任がほとんどだったので、未満児の、しかも0歳児担任というのは本当に若葉マークの初心者。
でも当時配属になっていた保育園は、とても小さな園だったで0歳児は2人で担任は私一人という状態。

すぐ近くに相談できるベテランの先生がいらっしゃらなかったため、試行錯誤しながら、事務室に助けを求めながら何とか乗り切っておりました。




そんなある8月のある暑い日に、1歳の誕生日を迎えたなっちゃん(仮名)が途中入所してきました。




お母さんと離れての初めての保育園生活。

当然のことながら、なっちゃんはよーーーーく泣きました(泣)


朝、お母さんと登園しながら大泣き。

お母さんと別れて大泣き。

おもちゃを前にして大泣き。

友達が水浴びしているのを見て大泣き。

抱っこされても大泣き。

おやつもごはんも大泣きして食べられず。

フォローアップも大泣きして断固拒否。

おんぶしながら寝かそうにも大泣きしてなかなか眠れず。




飲まず食わず遊ばず眠れず

そんな日々が数日間続きました。




大抵はそんな数日の間にも、おやつが食べられたとか、おもちゃに興味を示したとかちょっとした変化がみられるものです。
でもなっちゃんの場合、きっとあったにはあったのでしょうが、その当時の必死な私には、なっちゃんの変化はわかりませんでした。


何をしてもぎゃんぎゃん汗びっしょりで泣き続けるなっちゃんに、いよいよ私は精神的に追い詰められていきました。




「このまま脱水症状になったらどうしよう」

「お母さんは保育園を信頼して、預けてくださっているのに申し訳ない」

「なんで泣き続けるんだろう。何がいけないんだろう」




きっと当時の私は、超つまらない陰気で必死な表情をしていたんだろうなーーーと今ならわかります。
私のその負のオーラをなっちゃんは感じ取っていたんだろうなぁと。
なっちゃんにしてみれば、不安に不安を上乗せされていたと思うのです。
そりゃなっちゃんも楽しくないよね。゚(ノдヽ)゚。




で、1週間たったある日のこと、事件が起こりました。




私は左腕で支えながらなっちゃんを膝の上に載せ、右手にはお茶の入ったコップを持っていました。

なっちゃんはぎゃんぎゃん泣いていたもののなんと入所して初めて、自分からコップに手をかけたのです。



入所して1週間、何をしてもただただ泣くだけで、飲まず食わずのなっちゃんが、初めてお茶に興味を示した!!!!!


∑(0д0)←その時の自分




・・・が



なっちゃん・・・



なんでだよぉぉぉぉ・・・・・!!!!










つづく



  


頑張り屋の拗ね子ちゃん

2013年12月18日




2カ月ほど前かな?

あるイベントに参加した時の事。


そこにちょーーーー可愛くて、ちょーーーー気配りのできる女の子がいました。

手順の先の先を読んで、がんがん動き回り、笑顔でみんなを盛り上げる事も忘れない。

「○○ちゃんっていいお嫁さんになれるよねーー♪こんな嫁欲しいぜ!」なんて話かけていたら、彼女はふっと寂しそうに笑ってぽつりと言った。






「結構気張ってるんだけどな・・・」





およ?


・・・・・・。



あー・・・・(・∀・)なーる・・・





わかるわその感じ。








めっちゃ空気読んで、気配りして頑張ってるんだけど、周りはそれが当たり前になっていて、なぜか自分は「そういうキャラ」設定されていて、「いやいや、この場をなんとか楽しくしたくて皆のために頑張ってるだけで、ホントは普段の自分は違うのに、なんでそういうことになってんの?」とか思うんだけど、もはやその空気感には抗えないって感じ?

はー・・・・一気にしゃべった!


わかるわかる。
私もそういうタイプだった!!



「普段の自分はホントは違うのに」って思っているから



「よくできた人だね!」って褒められると「いやいやそんなことないの」って否定したくなる。

逆に「あなたがやってくれるから、いいよね」って頼られると「好きでやってるわけじゃない」ってカチンとくる。

でも「じゃあやりたくないならやらなきゃいいじゃん。普段の自分のまんまで」って言われると「それができたらどんなに楽か!」って反論したくなる。






・・・・なんだこの拗ね具合(笑)
どうしろっちゅうねん。







よーーーし!認定しちゃる!!

命名「頑張り屋の拗ね子ちゃん」




これ、私は昔合コンの時によく発動していた気がするなーーー

一生懸命場を盛り上げようと、ピエロに徹しているんだけど、実は内心「・・・疲れた」「あとどれくらいで帰れるんだろ」「めっちゃ頑張ってるし」とか思っていました。

やってあげてる感満載。

だからこの苦労を分かってもらえないと、勝手に孤独感感じたり。

で、その後アプローチしてくる男子に対しては、「こういう私だからアプローチしてきたんでしょ。ホントの私を見たらがっかりするくせに・・・」とか思っていました。





イタい。イタすぎるぜ自分。




まぁこんなのはほんの1例で、職場でもプライベートの人間関係でも散々こんなようなことやってましたな。


何かの大役を押しつけられ、引き受ける→「誰もやる人いないなら仕方ないとは思うけど・・・・また貧乏くじひいちゃったよ」

延々と愚痴や悪口を聞かされ、同意を求められ、曖昧な笑顔で必死にごまかす→「こんなこと、ホントは聞きたくないのに」

彼氏に尽くしても感謝されることなく、逆に手を抜くと彼が不機嫌になる→「なんで私ばっかり・・・。こんなに頑張っているのに、まだ頑張らないといけないの?」





世のため人のため、一肌脱げばなぜか損な役回り。
なのに周りは私の表面的な事しか見てないし、私の苦悩なんてわかっちゃいない。
そのうち感謝される事もなくなり、それが当たり前になってしまうと、もう「嫌だ」なんて言えない。



こういう時の私は、空気を読んでくれる人というか、気持ちを察してくれる人がだ―いすき!だったように思う。
「あ、手伝うよ」「いつもよく頑張ってくれるよね」って言ってくれる人がだ―いすき!だった。

私に対して当たり前のように何かを押しつける人には、「ありがとう」ってたった一言言ってもらえれば、もっと頑張れるのにって思ってた。


そして空気を読まないで自由でいる人が羨ましく、空気が読めない人には腹が立った。

そのくせ「損な役回りを引き受けたのは自分の責任」なーんてことも思っていたから、私と同じように「私の苦労、私の言いたい事を察して欲しい」という遠回りな物言いをする人が、本当に本当に苦手だった。

本当は私にやって欲しいのに、それが言えなくて「私がやるよ」ってこちらが言うまで食い下がる人に対して、「やって欲しいなら、素直に言えよ」なんて思っておりました。はい。←性格悪!笑

でもなんで腹を立てていたかといえば、根本には「私は損な役回りを引き受けても我慢して(やって)んだ。それを文句言わずにやって(あげて)いるんだ」という無意識の思いがあったから。
私はこんなに我慢してんのに、あんたは私ってこんなに我慢しているのよって事を私に気付かせようとしている!性格悪!!って。



性格悪いのどっちやねん(´∀`)



なんかこうやって文字にすると、自分のしてきた事に戦慄が走っちゃうな!!
震((((;゚Д゚)))))))
しかも不特定多数が読むブログに顔出し、名前出しでこれを書く勇気・・・!!




えっと・・



誰かこの勇気を褒めてくんないかな(///∇//)←え?









・・・・こほん=3


頑張り屋の拗ね子ちゃん

なんでこんなに捻くれながらも頑張ってしまうのかといったら・・・






勝ちたい

すごいと言われたい

デキると思われたい

評価されたい

万能でありたい



・・・・・という思いと



上記を失いたくないという思い。






本当はだいぶ前からわかっていた。

「自分がいなくても、仕事も物事もちゃんと動いていくんだろうな」ってこと。

別に自分がわざわざ頑張って仕切ったり、お世話しなくても周りはちゃんと動いていく。
自分が凄くても凄くなくても、評価されても評価されなくても、周りは関係なかった。

そこはちゃんとわかっていた。
わかってはいたけど、でもやめられなかった。


何故なら自分側から見た風景しかその時は見えなかったから。
でも逆に反対側から自分が見えた時、ある事に気がついた。



自分がいなくても周りは動いていく。
でもだからといって、自分の価値が変わるわけじゃない。







これがね


ずーーっとわかんなかった。

いや、多分頭では分かっていたけど、心がわかっていなかった。



そう、多分私はこんな公式に怯えていたんだと思う。


自分がいなくても周りが動く=自分に存在価値はない。

だから自分の存在価値を見せつけるために、勝ちたかったし評価されたかったし認めてもらいたかった。
それをもらうために「やってあげていた」

「やってあげる」ことをしなくなることで、勝てなくなる事、評価されない事、もっと言えば出来ない奴と思われる事や嫌われる事が怖かった。

「なんにもしなくていいよ」と言われるとすごく不安になっていた。

「誰かの役に立ちたい」と強く思っていた。




だって



他人の評価と承認が欲しかったから。







そりゃ疲れるわけよ。

自分の思い通りに、そして思い通りのタイミングで、他人から認めてもらったり励まされたりするわけないもん。

他人の顔色をちらちら見ながら、「ヘーキヘーキ!」なテイで、これ見よがしに頑張ってる感じ?

頑張り屋の拗ね子ちゃん、頑張りどころを間違えてます。


かーーーわーーーいーーーーくなーーーーーーーい!!!!







だからあえて意識的に、ダメな奴になってみた。



「何とかするね」じゃなくて「できない」と言ってみる。

「いいよ」じゃなくて「やだ」と言ってみる。

「やらなくていい」と言われたら、「ラッキー」って思ってみる。

「何やろうか?」じゃなくて「お願いやって♪」って言ってみる。

ダダをこねてみる。

真面目に受け取らないで、茶化したりバカにしてみる。

「気がつかなくてごめんね」は言わないようにする。気がつかないフリもしてみる。

褒められたら、自虐ネタを披露したいのをぐっとこらえて、目を合わさなくてもいいからとりあえず「ありがとう」と言ってみる。

自分の自慢を聴いてもらう。




つまり

「できなくても自分の価値は変わらない」ことを前提に、思い切って「やってあげる」立場から「やってもらう」立場になってみた。

ええ、ええ、コーチングの授業で学んだ「存在価値・自己イメージ」そして「立場と焦点」が生きていたんですな。



「やってあげる」立場に立っていた時は、自分の「やってあげなきゃいけない」と駆り立てられることばっか目についていた。
あそこが足りない、ここはもっとこうしたほうがいいのに。

そして私以上に気がつく人には、自分の役割を奪い取られた気がして、勝手に劣等感を感じていたりした。




でも思い切って「できなくても自分の価値は変わらない」ことを前提に、「やってもらう」立場に立ってみると嫌でも「やってもらったこと」に目がつく。
すると不思議な事に、やってもらえることの感謝がふつふつとわいてきた。

「あーーーこんなにしてもらっていたんだ」
「こんなに許してもらえるんだ」

そして素直に「○○さんて本当に凄い人だな!!」って尊敬の気持ちが湧いた。


もちろん拒否反応というか、冷たい反応もあった。
きっと以前の私だったら「もの凄く勇気を出して、お願いしたのにわかってもらえない!」って悲劇のヒロインになっていました。

でも
いやいや待ちなされ。
って思う事が、少しずつできるようになってきました。

自分がこれまで当たり前にやってきたことと、逆の事をやろうとしているんだから、そりゃ相手も戸惑うわな。突然には受け入れられないわな。葛藤するための時間がいるわな。
自分だって散々葛藤してきたんだから。

それに受け入れられてもらわなくても「できなくても自分の価値は変わらない」っていう前提がある。

ならいっか。


なーーーんてことを実はこっそりやっておりました。






んでもって現在。


相変わらず沈黙があれば、最初に口火を切ってしまうし、誰かの役に立つことに喜びを感じております。
以前ほどではないけど仕切る事もやってるし、盛り上げる事もやっている。
いわゆる損な役回りもやったりしている。





要は見た目、あんまり変わっていません(ノ∀`)




うん、全然変わってないの。

変わってないんだけどね


でもね






全く疲れないし、めっちゃ楽しいですヽ(´▽`)/






もちろん傷つくことも葛藤する事も、悩む事もあるけど「大丈夫」って思えたりします( ´艸`)


少なくとも




今は拗ねてないから(ドヤ!)






まぁでもね
たまには拗ねてもいっか☆笑