プロフィール
河野嘉恵
河野嘉恵

長野市出身

国際コーチ協会(ICA)ポテンシャルコーチ
国際コーチ協会(ICA)認定講師
保育士資格

長野市公立保育園に18年間勤務。
2年間在籍した子育て支援センターでは、延べ700件以上の子育て相談を受ける。
その経験から、子育ての相談スキルを上げたいと思っていた時に、コーチングと出会い、子育ちに関わる大人が元気でハッピーになれるサポーターになりたいと、強く思うようになる。

2012年4月、独立。
現在は、子育てママ対象の講演や、保育園幼稚園の職員研修を行う。
また1対1のパーソナルコーチングセッションを行い、子育てにかかわる人の応援サポーターとして活躍する。
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世界が変わる その3

2014年09月24日

 河野嘉恵 at 08:37  | Comments(0) | 可能性を信じる



「世界が変わるその1」

「世界が変わるその2」


続きです。







最初に変化が現れたのは、あーちゃんのほうではなくて、まこちゃんのほうでした。


それまでまこちゃんは、執拗にあーちゃんに髪の毛を掴まれていたため、あーちゃんに対して恐怖心を持っていました。

あーちゃんが近くに来ようとすると、さっと私の後ろの隠れたり、「いやあ!」と叫んで泣き出したりと、とにかくいつも怯えていました。



でも



私とあーちゃんのやり取りを何度も聴いていたまこちゃんは、次第にあーちゃんに興味を持ち始めました。


「あーちゃんってちっちゃくてかわいいね」とにこにこしたり、あーちゃんのために、椅子を運んで「ここ座っていいよ」とお世話をしたり。

当のあーちゃんは相変わらず無表情で、まこちゃんと目も合わせていませんでしたが、まこちゃんはお構いなしに、にこにこしています。





そんな状態が続いた、ある日のこと。





最初に発見したのは、隣のクラスの先生でした。





「かえみ先生!あれ見て!」


その先生の指さすほうを見ると、そこには驚きの光景が広がっていました。









日の当たるベランダには、まこちゃんとあーちゃんの二人の姿。



あーちゃんは、まこちゃんに膝枕をしてもらってコロンと横になっていました。

気のせいか、ほんの少し緊張しているように見えるあーちゃん。


まこちゃんは、そんなあーちゃんが可愛くて仕方ないという表情で嬉しそうに髪を撫でています。






その日






あーちゃんは保育園で初めて友達ができたのです。















**********



このあと、二人は大親友になりました。

そういえばあーちゃん、私の言うことは聞こえないふりしても、まこちゃんの言うことはよく聞いていたな(ノ∀`)




当時は、心理学みたいなことは全く学んでなかったので、本当にただただ感じたままにやっていたことだけれど、自分の心ひとつで目の前の世界がガラッと変わったその感動だけはずっと覚えていました。



そしてこの経験が、実はその後、支援センターに配属になった時に、大きく役立つことになったのです。

私は2年間、保育園の中にある子育て支援センターに配属になったことがありました。

(子育て支援センターとは、保育園・幼稚園に入園する前の親子が遊びに来て、交流したり育児相談したりする場所のことです)







ある日のこと



2歳の女の子のお母さんであるAさんが私にこう言いました。




「かえみ先生・・・ちょっと先生の耳に入れておきたい話があるんです」


「?なんでしょう?」


「ほら・・・あそこの角にいるBくんとそのお母さんなんですけどね。あの親子、この辺の遊び場じゃ有名なんです。Bくんは突然暴力をふるったりしてくることが多いんですけど、Bくんのお母さんは自分の子が暴力をふるっても、何も言わないで、知らん顔していることが多いんです。だからそのことで困っているお母さんたちも多くて・・・。先生、ちょっと気を付けて見ていただけますか?」

「そうだったんですか・・・。わかりました。様子を見ていますね」


「お願いします。もし何かあったら、先生からきちんと言っていただけるとありがたいんですけど」


「そうですね。ただ私自身、まだBさんとの信頼関係ができていないので、お話しできるような関係づくりができるようにしていきますね」




Bくん親子は、その時は支援センターに訪れるのは、まだ2~3回目。

しかも前回来たのは、1か月以上前のことでした。





そんな状態だったので、まず私はBくんとお母さんの様子を観察してみました。



受付が済むと、Bくんはすぐに室内を自由に動き始め、あちこちのおもちゃに興味を持ち始めます。

お母さんはというと離れた読書コーナーで、育児書や料理雑誌を読み始め、Bくんの様子には目もくれません。





でも





お母さんが読んでいる本に集中していないのがすぐにわかりました。







見たくない






そんなお母さんの心の声が聞こえてくるようでした。







一方のBくんは、自由に飛び回りますが、必ずと言っていいほど他の子の遊んでいる様子を、じーーーっと見つめて、ふらふら~とその子に寄っていきます。

そして、同じようなおもちゃで遊び始めるものの、その子のおもちゃを取り上げ始めます。

私は仲裁をしながら、B君の様子を見守ってみました。




しばらくすると、おもちゃに飽きて、手持無沙汰になったBくん。

私はBくんを粘土遊びに誘い、一緒に机のあるスペースに座りながら遊び始めました。

するとお母さんがその様子に気が付き、私たちのそばへ寄ってきました。



私は「Bくん、粘土遊びが好きなんですか?」とお母さんに話しかけ、会話を始めました。


ふと気が付くと


Bさん親子のことを報告してきたAさんも近くに寄ってきて、なんとなく私たちの会話に聞き耳を立てている様子です。




私はそれには気づかないふりをしながら、Bさんと会話を続けました。

するとBさんはひとしきり会話をした後に「先生・・・・この子のことで相談してもいいですか?」と切り出してきたのです。



Bくんは、こういうお友達がいる場所へ行くと、すぐに友達のところへ行って、おもちゃを奪ったり、手を出したりしてトラブルを起こすこと。

言葉がうまく出てこないから、「貸して」や「ごめんね」「ありがとう」が言えず、気まずい空気になること。

何度叱っても、手を出すことをやめてくれないことなど話してくれました。



「だから本当はこういう子育て支援センターみたいなところには、来たくないんです。でも、一人っ子だし、こういうところへ連れてこないと、この子のためにならないと思って・・・」



そう言うとBさんは俯いて黙り込んでしまいました。






ああ・・・とても苦しかっただろうに・・・。


Bさんのこれまでの葛藤を思うと、とても胸が痛みました。






「Bさん、ずっとBくんのために頑張ってきたんですね」

「・・・・」

「私ね、実はBくんの様子を見ていたんですよ。そしたらね、Bくんはお友達にちょっかいを出す前に必ず、その子のことを観察しているんです。その表情がね、すごく楽しそうなんですよ」

「え?」

「これは私の推測なんですけど、Bくんはお友達の楽しそうな様子を見て、それを一緒に共有したかったんじゃないかなぁ。自分も一緒にやりたいって。」

「そうなんですか?」

「私はそう思いました。もしおもちゃだけに興味があるのなら、一直線にそのおもちゃに飛びつくけど、おもちゃだけじゃなくてお友達の表情も嬉しそうに見ていたんですよ。きっとお友達に興味があるんじゃないでしょうか。でもBくんは、仲良くなる方法がわからないんじゃないかな。だとしたら、それを教えてあげればいいんだと思うんです」


Bさんは驚いた表情で、私の顔を見つめていました。


「そんな・・・・そんなこと・・・今まで誰も教えてくれなかった・・・。誰に相談しても、今の時期だけだよとか、そのうち手は出さなくなるよとか・・・」


「私ね、Bくんがお友達の楽しそうな様子に自分も楽しそうにしていたってことは、きっと根っこにお友達が大好きっていう想いがあると思うんです。きっと、Bくんはお友達を大事にできる力があるお子さんだと思いますよ」



いつの間にかBさんの目から涙がこぼれていました。





自分の子が、他の子を傷つけるのを見たくなかった。

他のお母さんたちの視線が痛かった。

自分たち親子が迷惑な存在なのは百も承知だった。

わかっていたからこそ、悲しくてみじめでこれ以上謝ることができなかった。

だけどこの子のために、大勢の子どもが集まる場所に何とか自分を奮い立たせながら来ていた。



そんな状況でも



それでも「いつか」を信じていたBさん。



今までどれだけ苦しくて長いトンネルに入り込んでしまったんだろう。





でも





本当の答えは、「いつか」ではなく、自分の中にあるんだ。







その後、Bくん親子が帰ろうとした時だった。


Aさん親子が、Bくん親子に近づいてきた。


そしてAさんは、Aちゃんに「ほら、Bくんお家に帰るんだって。バイバイしてタッチしようか」と声をかけたのだ。


Aちゃんは素直にBくんのところへ行って、バイバイをする。

Bくんも満面の笑顔でバイバイし、ふたりはハイタッチをしながら、そのままピョンピョン飛び跳ね、げらげら笑いだしたのだ。


その様子を、AさんもBさんも嬉しそうに見守り、その場に温かい空気が流れた。









答えは誰もが自分の中にある。



あーちゃんもまこちゃんも


Aさん親子も、Bさん親子も



みんなの中には、愛があり、優しさに溢れていた。



それを信じるだけでいい。














もしこの子に愛があるとしたなら

もしこの子に可能性があるとしたら



目の前の「問題行動」はどんな意味を持つのだろう?





そして




もし自分に愛があるとしたなら

もし自分が素晴らしいのであれば



自分を苦しめるこの感情はどんな意味を持つのだろう?


















大丈夫。


きっと世界は変わるはず。








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世界が変わる その2

2014年09月24日

 河野嘉恵 at 08:23  | Comments(0) | 可能性を信じる


前記事「世界が変わるその1」の続きです。




実はまこちゃんの髪の毛を引っ張ってはいなかったあーちゃん。




あーちゃんが実際にしていたこと・・・・・




それは






まこちゃんの髪の毛を掴んでいただけだったのです。





なぜまこちゃんの髪の毛が、何本も抜かれていたかというと、あーちゃんに髪の毛を掴まれて、驚いて逃げようとしたまこちゃんが、自分で頭をぐいーーっと動かしていたからでした。







この事実


もし私が「髪の毛を引っ張ることを辞めさせる」ことに頭がいっぱいだったら、とても見抜くことはできませんでした。

なぜなら、同じ現場を目撃していたとしても、「あ!また髪の毛を引っ張ろうとしている!」と思い込んで、慌てて止めに入っていたはずだからです。








まこちゃんの髪の毛を掴むだけだったあーちゃんの姿に、当時の私は確信しました。




「あーちゃんはまこちゃんを傷つけたいわけじゃない。まこちゃんに気が付いてほしいだけなんだ」





そこで私はあーちゃんではなく、まこちゃんにこう伝えました。

「まこちゃん、今度あーちゃんに髪の毛を掴まれたら、絶対に頭を動かさないでじっとしていてね。そうすれば痛い思いはしないから。それでね、大きな声でせんせーー!って呼ぶんだよ。そしたらかえみ先生は、必ずまこちゃんのところに飛んでいくから。」

それを聞いた、まこちゃんは大きくうなずいてくれました。






チャンスはすぐにやってきました。








「せんせー・・・かえみせんせー・・・」


まこちゃんの声に慌てて振り向くと、そこにはあーちゃんに髪の毛を掴まれて、大人しく頭を横に傾けているまこちゃんの姿がありました。





「まこちゃん、よくやった!!!」







私はそう叫びながら、二人の処へ駆け寄り、あーちゃんの固く握りしめられた手を、開かせてあげました。

そして「あーちゃん、まこちゃんに気が付いてほしかったんだよね。そういう時はね、お手てをパーにして、こうやってまこちゃんの頭をいい子いい子って撫でてあげるんだよ」とあーちゃんに伝え、手を取りながらまこちゃんの頭を撫でさせてあげました。

あーちゃんは、相変わらず無表情でしたが、私にされるがままに、まこちゃんの頭をなでていました。

そしてまこちゃんもじっとしながら、私の言葉を聞いています。







そんなことを2~3回繰り返した頃、ある変化が見られるようになりました。







実はその変化が最初に見られたのは、あーちゃんではなく、まこちゃんのほうだったのです。










つづく












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世界が変わる その1

2014年09月24日

 河野嘉恵 at 08:21  | Comments(0) | 可能性を信じる



これから書くお話は、よく子育てセミナーや、先生方向けの講演でするお話です。



「人は自分の見たいように、現実を見る」とはよく言ったものだなぁと思います。

自分の目の前の現実は、自分が見たいように自分が創った世界。

そんなことを気づかせてくれる、あーちゃんのお話。





*********





私が年少クラスの担任をしていた時でした。

そのクラスには、あーちゃんという女の子がいました。

あーちゃんは、ゆっくり成長発達するお子さんだったため、他の子どもたちよりも身体は一回り小さく、そして言葉を話すことができませんでした。




あーちゃんにとっては、初めての大勢に囲まれた環境。

そのせいか、いつも保育室のはじっこで、小さくなっていることが多く、だんまりと無表情で日中を過ごしていました。

おもちゃにも、子どもたちにも興味を示さず、無表情のまま一言も発しないあーちゃん。

抱っこしようとすると、体をくねらせて拒否するため、私もうまく関わりを持つことができませんでした。





そんなあーちゃんでしたが、たったひとつだけ自分からアクションを起こすことがありました。




それはお友達の髪の毛を引っ張ること。



そして、あーちゃんは髪の毛を引っ張る子を特定していました。


それがまこちゃんという女の子。




「ぎゃーー!」というまこちゃんの叫び声に慌てて振り向くと、そこには大抵あーちゃんに髪の毛を引っ張られているまこちゃんの姿がありました。


まこちゃんが泣いていてもあーちゃんは、お構いなしに髪の毛を握りしめたままです。



「あーちゃん!手を離して!」

慌ててあーちゃんの固く握られた手を開かせると、そこにはまこちゃんの引き抜かれた髪の毛が何本もありました。


私は驚いて、泣きじゃくるまこちゃんを抱っこしながら、あーちゃんに謝るよう話したりしましたが、あーちゃんは全くの無反応です。




突然前触れもなく髪の毛を引っ張られるまこちゃんの痛み。

そのことを知ったまこちゃんの親御さんの切なさ。


私はとても胸が痛みました。


そしてこのことを知ったあーちゃんの親御さんが、私以上に胸を痛めることも、よくわかっていました。


でも当のあーちゃんは、なにも感じていないようでした。

なぜならその後、何を伝えても、どんなに気を付けていても、あーちゃんのまこちゃんへの攻撃は止まることはなかったからです。





なんで何回も言っているのに、わかってくれないの?

他にどんな伝え方をすればいいの?

なんでこんなことするの?


なんで?



なんで?






次第に私はあーちゃんに髪の毛をひっぱることを辞めさせることで、頭がいっぱいになってきました。




そしてとうとうあーちゃんが、まこちゃんの髪の毛を引っ張ったある日、私は大きな声であーちゃんを叱ったのです。


「あーちゃん!先生何度も言ってるでしょ!?お友達の髪の毛をひっぱちゃいけないの!あーちゃんだって、こんなことされたら嫌でしょ!?」







あーちゃんは無表情でした。




少なくとも私にはそう見えました。






でも






無表情に見えたその目から、たった一粒だけ涙がこぼれたのです。












違う





あーちゃんの涙を見た瞬間、そう思いました。




違う。こんなやり方じゃダメだ




なぜだかわからないけど、私は自分のやっていることに違和感を感じたのです。



どうしたらいいのかはわかりません。


でもあることに気が付くことができました。









私・・・・あーちゃんのこと、なんにもわかってない。










その日から私は考えるようになりました。






あーちゃんは、本当は何をしたかったんだろう?

あーちゃんが伝えたかった事ってなんだろう?

あーちゃんは何をわかってもらいたいんだろう?






すると今までの私だったら、絶対に見えなかったものが見えるようになったのです。









ある日のこと、私はラッキーなことに、あーちゃんがまこちゃんの髪の毛を掴む瞬間を目撃しました。



そして全く思いもよらなかったあることを発見したのです。







実はあーちゃん。



まこちゃんの髪の毛を引っ張ってはいなかったのです。









つづく










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何も失わない ただ得ただけ

2014年09月24日

 河野嘉恵 at 08:19  | Comments(0) | 可能性を信じる


ブログを書くときは、頭に降りてきたものをそのまま文章にするのだけど、中には「これ文章にしていいやつかなぁ?」というものも、降りてくる。


そんな時は


「そんなつもりないんだけど、悪口に思われたらやだなぁ」

「なんか恥ずかしい」

「変な宗教に嵌まってるとか誤解されたらやだなぁ」

「こういう表現、理解されないかもなぁ」



・・・と思いっきり世間の目を気にしてしまう。


そういう時は、書けない、書かない、もしくは書いてもお蔵入りするようにしてきたけど、そういうことはもうやめにしようと思っている今日この頃。

そして実は今書こうと思っているのも、「これどう思われるのかなぁ?」と思うようなヤツ(笑)
ホント、超個人的に勝手にそう思っているのだ☆



でもしょうがない。

もう降りてきてしまっているんだ。

で、意外と書いてみたら「へ?どうしてこれが迷うの?別にいいじゃん」と思われるのがオチかもしれん。





という小心者らしい前置きをしつつ本題。







*******





私は今まで、何か大きなものを手放すたびに、本当にほしかった大きなものを得て、自分のステージが開けてきたんだなぁと思う。


恋人への執着を手放して、まともな生活を手に入れたり(若気の至り)

大きな自己投資(お金を手放す)をすることで、ほしい未来への地図を手に入れたり



そうやって意識して頑張って手放して、そして別のものも手に入れてきたこともあるけど、不思議なことに「まだそんなつもりじゃなかったのに!!」というものまで手放して、結果大きなものを引き寄せてしまうこともある。



実は私、大きな変化のある前・・・・何かを手放すときは、必ずそれを象徴するアイテムを失くしてしまうのだ。

しかもそのアイテムは「絶対なくしちゃいけないやつ!!!」というシロモノ。

どういうものかというと・・・・







まだ私が市の職員である保育士をしていた時。

その年の年度末である3月で辞めようとは思いつつ「いや・・・でもあと1年くらい続けようか・・・」などとぐらぐら揺れていた6月ごろ。




失くしてしまったのだ。




市の職員の証明であるIDカードを・・・!



紛失するとか本気で有り得ないからーーーー!!!!




(・・・ってこれ、ブログで書いちゃって大丈夫かな 壁|∀・)ジー)




で、それが引き金になったわけでも何でもないのだけど、結局私はその年度の3月で退職した。

安定を手放して、自分で身軽に動ける自由を手に入れたのだ。








そして1年前。

私はやっぱり「絶対失くしちゃいけないだろ!」というアイテムを失くしてしまった。


それが何なのかは、今はまだ話せるタイミングではないのだけど、そのアイテムを失くした時は自分の不注意さ加減にめっちゃ腹が立ったし、情けなかった。


でも結果的に


私はその数か月後、そのアイテムが象徴となった、「それ」に頼っている自分・・・つまり「それがあっての自分」になっていたことに気付き、手放すことを決めた。

そこから「私は私でしかない」ということを、とても大切にするようになった。

そしたら出会う人が変わり、大きな流れができて、ちょっと前じゃ考えられないような大きな仕事やラッキーが自分のもとへやってくるようになった。








そんなことをいろいろ思い出しながら思った。

「きっと夏休み終了直前にならないと、宿題に取り掛からない私のようなタイプには、こうやって有無を言わせず大事なアイテムを取り上げて、尻を叩いてくれる神様がいるんだなー。はっはっはっ」


もしかしたらこれからも、次に開かれた場所に行く前には、こんなふうにアイテムがなくなるかもしれない。

そのアイテムは、モノだけでなくお金かもしれないし、もしかしたら人かもしれない。





ん?




人・・・・?




あれ?




もしかして大切な人を失うこともあるっていうこと・・・?






そう思った瞬間






いやだーーーーーー!!!



思わず叫びたくなるくらいの恐怖が一気に押し寄せてきた。







やだやだやだやだやだやだやだ


絶対に嫌だ!!!





そんなことになるなら、別に何もいらない!

幸せになんてならなくてもいい!






衝動的だったけれど、本気でそう思った。



そして気が付いた。

自分の中に、「失う恐怖」があるんだ。



それまで、何かを手放せば、何かが手に入るというのは経験上わかっていたけれど、ずっと「手に入る」ことばかり気にして、「手放す」ことの意味を深く考えたことなんてなかった。


私はこの時初めて、自分がこの「手放す」を「失う」と勝手に思い込んでいたことに気が付いたのです。









そんなことに気が付いて数日後。







友達に「これ絶対面白いから!」と勧められた本がありました。



それがこちら




旅猫リポート/文藝春秋

¥1,512
Amazon.co.jp


有川浩さんの小説「旅猫リポート」

ネタバレしない程度に、ざっくり説明するとある野良猫(オス)が、交通事故で怪我をしたのをきっかけに、サトルという青年に助けられ、一緒に暮らすことになる。

ナナと名付けられたその猫は、サトルと幸せな5年間をすごした。

だがサトルはどうしてもナナを手放さなくてはならない事情ができて、一緒にナナの飼い主を探す旅に出る。

サトルの過去、出会いを紐解く1人と一匹の物語・・・・みたいな話。(伝わったか?)




その中で、元野良猫ナナのこんなセリフがあったのです。




野良なんて捨て置かれて当たり前なのに、サトルは足を折った僕を助けてくれた。

それだけで奇跡的だったのに、サトルの猫になれるなんて、僕は世界中で一番幸せな猫だったんだよ。

だからサトルが僕を飼えなくなっても、僕は何も失わないんだ。

ナナって名前と、サトルと暮らした5年間を得ただけなんだ。

それは、サトルと出会わなかったら絶対に手に入らなかったんだ。







何も失わない


ただ得ただけ







ここを読んだとき、ふっと軽くなりました。






そうだ



私もおんなじだ。



生まれたときは、なんにも持っていなかった。




そして成長と共に沢山の人と出会って別れて、沢山のモノが手に入り、そしてなくなった。


そのループの中で私はいろんな感情を味わって、沢山の記憶が創られてきたんだ。






私はなにも失ってなかった。



失ったと思っていたものは、全部自分の中に形を変えて「あった」んだ。







失うことに、そして手放すことに恐怖を感じるのは、自分の中の「ある」を信じられないからなんだ。








そうはいっても、人間だからやっぱり痛みは感じるし、それでいいんだと思う。


その時は痛くても、悲しくても、寂しくても、傷ついても


それでも流れる時の中で、自分の中の「ある」を感じられたなら


きっと大丈夫だと思えるはずだから。





そう自分に語りかけたらすごく楽になって、「うん、私は大丈夫」と思えたのです。




(*´Д`)はー・・・








・・・・・ちなみにこの「旅猫リポート」


間違いなく号泣します。



もし読む機会がありましたら、周囲にはくれぐれもお気を付けくださいませ( ̄∀ ̄)

特に猫好きさんは要注意☆













゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*:.。. .。.:*・・*:.。. .。.:*・゜



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で、私どうしたい?2

2014年07月14日

 河野嘉恵 at 18:30  | Comments(0) | 可能性を信じる


さて、前回の記事で「(いろいろあるけど)で、私どうしたい?」という問いを持つことで、「自分の思うままに、自分を動かしていい」という許可を出してみませんかとお伝えさせていただきました。

詳しくはコチラ


私は普段講師をしながら、1対1の相談セッションをしています。
セッションではこの「私どうしたい?」がわからない、もしくはいくつかあるけど、ピンとこない方が沢山いらっしゃいます。

今回の記事はそんな「私、どうしたい?」がわからない方へ、メッセージのつもりで書いてみました。




「私、どうしたい?」という問いを持った時

単純に「わー!考えたことなかった!」という方は、ちょっと考えてみるとぽろぽろ出てくるのですが、「考えても何も思いつかない」という方、または「あることはあるけどでもこんな些細なことしか・・・」と落ち込む方、または「考えてみたら、苦しくなってしまった」という方も一定数いらっしゃいます。

全てではないけれど、そういった方々の多くに共通していること

それは・・・



今この瞬間、自分が何を感じているのかわからない



こういう方が、本当に多いなぁと思います。



たとえば

過去にとても傷ついたり悲しかった経験があると、同じ感情を味わいたくないと、自分の感情に蓋をしてしまっている人。
そういう方は、マイナスの感情に対してとても鈍感です。


悩みを聴いてほしくて話しているのに、その悩みを他人事のように淡々と話したり

「こんなことを気にするなんておかしい」と外では明るく振舞いながら、内面ではマイナス感情をなかったことにしたり

だから悩んでいる人にも、心から親切のつもりで「そんなこと気にする必要ないよ」と説得しようとしたり

本当は傷ついて悲しかったのに、それを悟られないように(悟られたらもっと傷つくような気がするから)、もっともらしい理論を並べて相手を説得しようとしたり



そういう方は、自分の感情がマヒしていることに気が付いていないことが多いです。

ちなみに私はこのタイプかな(・∀・)





他にも、他者の目を気にする人もやっぱり「自分が何を感じているのかわからない」という方はとても多いです。


問題を起こしてはいけない、迷惑をかけてはいけない・・・だから自分の感情や意欲を二の次にする。
こういう選択の仕方をしてしまうということですね。

でも問題を起こさないように選んだ選択の結果、不思議なことに手に入るのは、大して嬉しくもなんともない現実なんですよね。

例えば

他人のご機嫌ばかりうかがっていたら、喧嘩は起きなかったけれど誰とも心を通い合わせられている実感がないとか。

すごく気を遣って接していた相手が、別の何も考えていないような無邪気な人のほうを可愛がっていたとか。

相手のペースに合わせていたら、相手には好かれたけど、自分の時間が無くなってしまっていたとか。





他人の目が気になるというのは、他人との関係においてマイナスの感情を感じないようにするということ。

でもそうやってマイナスの感情を感じないように選んだ結果が、実はプラスの感情をも遠ざけてしまうということなんですね。

これをし続けていけば、当然自分が何を感じているのか、わからなくなってしまいますよね。






他にもいろんなパターンがあると思うのだけど、結局は自分のしたいこと・・・つまり心が動くものがなんなのかわからないということは、自分の心を動かしていなかったということ。

どうして心を動かさなかったのかは、痛みや悲しみといったマイナスの感情から、自分を遠ざけるための手段にしていたからだと思うのです。






私がこのことに気が付いたとき、思ったこと。




それは





「そうまでして、自分を守りたかったんだなぁ」ということ。








傷つかないように、悲しまないように、楽しむことを奪ってまで、自分を守ろうとするイメージが頭の中に浮かんだとき、なんだかそんな自分が滑稽で可愛いなと思ったりしました。


それと同時に「これが自分を愛するってことなんだろうな」とも思ったんです。

そこまでして自分を守りたいということは、自分を愛しているからこそなんですよね。








だから思うんです。

自分を愛するが故に、自分を苦しませる必要はどこにもない。

自分から楽しむことを奪ってまで傷つくこと・悲しむことを避けることが、自分を愛するが故のやり方だとしても

それが心の奥底で本当は苦しいと思うのならば、やっぱりそのやり方を変える必要があるんではないのかい?と。





自分から楽しむことを奪わずに与える。

傷つくこと、悲しむことを避けずに、「そうなっていいよ」と許可する。





つまりマイナスの感情を避けるために、プラスの感情を受け取ってこなかった。

でも今度は

プラスの感情を受け取るために、マイナスの感情も受け取るということです。






「それができればこんな苦労はしないよーーー」




という声が聞こえてきそうですが(ノ∀`)
でもそういうことなんだと思います。






マイナスの感情を受けとる・・・私は結構これを軽いノリでやってます。


「これやってみたいなー・・・。でも・・やったら、失敗するかも。恥かくかも。そうなったら結構・・・いや、かなり凹む。絶対凹む!・・・・・・・でも・・・まぁ・・・・そうなってもいっか」と。





凹んでいい

泣いていい

傷ついていい

恥ずかしくなっていい




そうやって自分に許可を出して、マイナスの感情を抑え込んだり感じたりしないようにするのではなく、「いいよいいよ来なされ」とウエルカム状態にしておくのです。




苦しくなるのは、マイナスの感情に意味づけをするから。



凹んではいけない

泣いたら負けてしまう

傷つくなんておかしい

恥ずかしい思いをするのはみっともない


そうやってマイナスの感情に「それは間違っている」「それはおかしい」と勝手に意味づけをするからしんどくなる。

しんどいから自分の心を守りたくなる。






でもレッテルを張らずに、裁くこともせずに、「そうなっても大丈夫だよ」と自分に許可を出せたなら

実はあんなに怖がっていたことが、意外と何でもないことがわかってくる。




私のセッションを受けた方の中に、この質問をされたことがあると思います。

「もし仮に、そうなったとしたら、あなたにはどんなことが待ち受けているの?」

そうすると、大抵のクライアントさんは「・・・!!」と口ごもります。
怖いと思っていたものの実体が、自分でもよく分かっていないことに気付くからです。

「あんなことが・・・こんなことが・・・」と答えるクライアントさんも、急にトーンダウンします。
話しながらそんなに大したことではないということ、それかとんでもなく起こる確率の低い妄想に、自分が踊らされていることに気が付くからです。








うん、意外と大丈夫だし、何とかなるのですよ(・∀・)








だから一生懸命自分を守らなくても大丈夫。

ただ「なんとかなるやろ」と自分を信頼すればいい。

なんとかなるんですよ。

だって今まで間違えたやり方で自分を守って、散々しんどい想いをしてきたあなたは、今こうして無事に生きているのだから。





というわけで




自分を信頼して、自分の思うままに自分を動かしてみませんか☆

大丈夫!

あなたは自分が思う以上に、とっても強いのです(*´∀`*)








  


で、私どうしたい?

2014年07月14日

 河野嘉恵 at 12:14  | Comments(0) | 可能性を信じる


6月の終わりに発行したメルマガの内容です☆




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大人になると、本当に月日が流れるのは早いなぁと思います。
小学生のころは、あんなに1日が長く、そしてひと月が1年のように感じられたのに不思議ですね。

こんなふうに時が過ぎるのが早いと、「あれ?もう今年ももうじき後半戦?なにもやっていないのに~」と思うこともたくさんあるかと思います。
日常の忙しさに振り回されていると、自分が何をやりたかったのか、どう過ごしたかったのか、何を計画して実行したかったのかついつい忘れてしまいます。

そして1年の終わりには「あーあ・・・今年もあっという間に終わってしまった」なーんてことありますよね。

できない理由・・・たくさん出てくると思います。
いかにも「最もな理由」がこれでもかこれでもかと(笑)
そうやって理由を挙げてくると不思議なことに、「やりたかったこと」が「まぁ仕方ないよね。できなくても」と自分の意識の中で変わってくるんですよね。

つまり「やりたかった、やってみたかった」が「どうでもいいか。できなくても死ぬわけじゃないし」に変換されてしまうんです。
なぜわかるかというと、私もそうだったから(笑)いや、今もそういうとこあるか(ノ∀`)

でもね、それってもったいないのでは?と思うのです。
「やってみたかったこと」「楽しそうなこと」を、「仕方ない。できないんだから」と自分の中に無意識に積み上げていくことで、本当に「何もできなかった」生き方になるからです。

だから私はいつも自分にこんなことを質問しています。

「(いろいろあるけど)で、私どうしたい?」

この答え、自分のために○○したいでもいいし、家族や誰かのために○○したいでもいいんです。
それこそ「よし、今は何も考えずにとにかくコーヒー飲んで一息入れよう」とか「あと10分だけ頑張ろう」とかそんな小さなことでいいんです。
・・・というより、そんな小さなことからしたほうが良いのです。

大事なのは何をするかではなく、「自分がやりたい、やると決める」という意識。

誰かのせい、時間のせい、出来事のせいにするのではなく、自分で決めるという意識とは、言い換えるなら、「自分の思うままに自分を動かしていいという許可」です。

今日という日、あなたはどうしたいですか?






  


約束を守りたい

2014年01月15日

 河野嘉恵 at 10:54  | Comments(2) | 可能性を信じる

前記事「2014年幕開け」で、構想をカタチにする1年にします、自分の中にとんでもなく凄い光景や物語が見えるんです・・・ってなことを書きました。

その記事では希望が見えている未来について書いたわけですが、今日は真逆の絶望の未来について書きたいと思います。

「こんなんなるのだけはやだーー!(((;゜Д゜))」ってやつですね☆



私のこれだけはいやだーー!は










・・・・・後で書くとして(・∀・)






こっちの切り口から行きまーす☆



私はプロフィールにもありますが、長野市公立保育園で保育士をしてきました。
いわゆる地方公務員だったのですが、その仕事を辞めて今の講師やコーチの道を選びました。

よく聞かれるのが「どうしてこの仕事を辞めたの?」という質問です。
そりゃそうだ。
このご時世に安定した、しかも保育士という仕事を嫌になったわけでもないのに、なぜ辞めるんだという話ですよね。


これはセミナーとかでも毎回お話している事なんですが、保育士をしながら思ったのは「子育てはやり方だけではない、それよりも在り方が重要なんだ」ということだったんです。

だとしたら子育ちに関わる大人たちが元気でハッピーになることで、子どもたちはその姿を見て「大人になるっていいな」「未来って楽しそう」と自然と思えるようになる。
それならまずは保育園の中の保育だけでなく、大人たちが元気になるお手伝いをしたいと思いました。
そしてそのためには、お手伝いをする自分がまずは元気でハッピーでいる事・・・つまり「自分らしく生きる」ことが大事なんだなと。



話は元に戻りますが、私が「こんなんなるのだけはやだーー!(((;゜Д゜))」と思うこと。


それは


「食べるためだけに生きる」ということです。





なぜなら「勝手に」子どもたちと約束したんです。

私は「自由に生きていいんだよ。もっと夢を描いていいんだよ」と胸を張って子どもたちに言える大人になるって。
そのために私は自分がまずは元気でハッピーに自分らしく生きようと思いました。




コレ、3年前夢を持てなかった〇〇ちゃんとそんな約束を交わしたとか、そんな美しいエピソードを持ち合わせているわけではありません。
あくまでも私が「勝手に」思って「勝手に」約束しているだけです。


多分


私一人だけの事を考えれば、食べるために生きることになったとしても、不安や不満を持ちつつ、生きていくことはできると思います。




「できる」んです。




「できる」んだけれども




子どもたちに胸を張って「自由に生きていいんだよ。もっと夢を描いていいんだよ」って言えなくなるんだって思った時、考えただけで悔しくて悲しくて涙がでてくるのです。



だって



「自由に生きていいんだよ。もっと夢を描いていいんだよ」って言うことだって「できた」はずなのにって。

選ぶ事が出来たのになぜ選ばなかったんだろうって。












前記事で書いた自分の描く先の光景にわくわくするのと同じくらい、この後悔する感覚は自分を動かす大きな原動力になってます。



※補足ですが決して「食べるために生きる」方を批判しているわけではありません。私が勝手に子どもたちと約束したことを果たせないイメージが「食べるために生きる」ということだと捉えていただければ嬉しく思います。





というわけで



今日もはりきって仕事をしてまいります♪











  


あれ・・・?出てきたし

2013年12月24日

 河野嘉恵 at 15:12  | Comments(0) | 可能性を信じる
年末ですね!

大掃除真っ最中の方。

ちょこちょこやり始めている方。

やーらなきゃー!と思いながら年末の特番を観ている方。

いろいろいろいろいらっしゃると思いますが、私はというと、とりあえず放置していたこれまでの仕事に関する書類の整理に踏み切りました。(よーやく!)
昔から紙ベースのものをどう整理していいのか分からなくて、がさっと置いたままにするのが常なんですが、とりあえずクリアポケットファイルに入れるべと思いました。

しかーし

「あ!クリアファイル切れていた!」


よかったー思いだして!なーんて100均に行こうとしたのですが・・・・ふとこんな思いがよぎりました。


「それにしてもクリアポケットファイル、今までいっぱい買ってきたなぁ・・・」


するとふとこんな思いもよぎりました。


「・・・まだ私買うんかい?」





仕事をするたびに、クリアファイルを買い続け、どんどん貯めていく自分。


なんか滑稽だ。


そこで過去にいろいろ詰め込んだクリアポケットファイルの中身をばさっと出してみた。




・・・・。




なつかしーーーね!!(*´∀`*)



過去、自分が一生懸命勉強してきた事なんかが、おさまっているファイルをめくりながら、こんなこと考えていたんだ―と思ったり。

・・・・そう、懐かしかった。

楽しかった事も、頑張った事も、沢山の時間をかけた事も、高額のお金を投資した事も全部詰まっている。



でも今の自分に必要なものかと聞かれれば、そういうわけでもない。

ぶっちゃけ、見返してみる事は殆どない。

何よりも

ちゃんと「必要なものは自分の中にある」と思えた。




なので思い切って、中身はすべて処分。




すると出るわ出るわクリアファイルが!!!

クリアポケットファイル6冊。
そしてクリアファイル十数枚。


買わなくてよかったーーーー!!!ヽ(´▽`)/



そして空のクリアファイルの山を見ていたら、なんだかおかしくなった。


「ない!」って思ってたのに、こんなにあったんだ。










そういえば似たようなこといっぱいあったなぁ・・・




わかってもらえないと思っていたけど、恥ずかしさを捨てて自分の気持ちを伝えたら、びっくりするくらい親身になってくれた。

できっこないと思っていたけど、先々の心配という名の妄想を捨てて飛びこんだら、意外とできた。

自分の持っている知識や経験は、たいしたことないと思っていたけど、どう思われるか?を捨てて提供してみたら、実は誰かにすれば大したことだった。

つまらないと思っていたけど、ふてくされるのをやめて、動き出してみたら意外と面白かった。

信じられないと思ったけど、とりあえず信じてみたら自分の目の前の見え方が変わった。

しょうがないと思ったけど、失敗をガン見する怖さを捨ててよーく見たら、それは次へのステップとチャンスだった。

自分には「あの知識がない、この資格がない」と思っていろんな分野の勉強に手を出したくなったけど、外側へのベクトルを捨ててみたら、実は知りたい事は自分の中にあった。





・・・・こうやって書くと自信のない、びくびくした自分が見え隠れするなぁ(笑)


今回クリアファイルを通して私が捨てたのは、過去学んだ知識や経験という財産。
なかなか捨てられなかったのはきっと「これがないと不安」という自分の自信のなさ。


自信がないから、「ないない!」ってもっと買足そうとしたり、他のもので埋めようとしているんだろうなぁ。
ホントはちゃんと「必要なものは自分の中にある」のにね。



でもまだまだ自分の家の中にも、自分の中にも捨てられないものがあるんで、これからゆっくり大掃除してみようと思います☆




・・・年末の大掃除にかけてうまいこと言ったな!Σ(ノ∀`)ペシッ










  


オムツが外れるそのわけは・・・2

2013年11月15日

 河野嘉恵 at 11:50  | Comments(0) | 可能性を信じる


さてさて前回の続き。

私が勉強させていただいている保育施設の子どもたちが1歳前後でオムツが外れるその理由の続きです☆



さて、前回「自分は子どもをどう扱っているのか?」ということが重要だと書きました。

これはどういうことか。







そもそも何故自分は「トイレトレーニングは膀胱にある程度おしっこが溜まることができる季節の良い時期にするのがいい」という考えを持ったかなんですよね。

改めてなぜこういう考えを持ったか考えてみると、私の場合単に「そう学んだから」「みんなそうやっているから」っていう答えしか出てこなかったんですよ。



それが「当たり前」だったんですね。




これ、全然子どもを見てなかったんです^_^;
目の前の子どもを見ないで、自分の「当たり前」のレールにのっとって、子どもを成長させようとしていただけだったんです。

で、この方法が成功すれば「この方法で間違いない」とある意味自分の中のルーチンワークになっていたんですね。




おむつからちょっと話はそれますが、アメリカの発達心理学者バーバラ・ロゴフの書いた「文化的営みとしての発達」という本にある1枚の写真に衝撃を受けた事を覚えています。

コンゴ民主共和国の11か月の赤ちゃんの写真。

なんとその子、自分の身長の半分以上ある大きなナタを持って、果物を割ろうとしているんです。
で、周りの大人は止めるわけでもなく、見守ってやらせてあげているんですね。


日本じゃ絶対に考えられない!!
こんなことを赤ちゃんがやりたがっているからって、本当にさせようものなら「はぁ?!なにやってんの!!」と非難されまくりです(笑)
私もナタを持たせる勇気はまだありません(´∀`)

でもこういった文化は(1歳で、既に火とナイフを扱えるとか)世界のあちこちで普通に見られる光景なんだそうです。


どうしてこういう文化ができるのかと言うと、子どもは「大人の助け・教えがなければ自分では成長できない」という捉え方ではなく、「自分の興味関心ごとを、大人のサポート(共同作業)により、達成することで成長する」という捉え方をしてるからだそうです。

「この子にはまだ早い、できない」と思うのか
「やってみたいなら、やらせてみよう」と思うのか



大人がこの子はできるようになると信じているか、出来ないと思いこんでいるのかの違いなんですよね。

これが大人が子どもをどう扱うか?ということなんです。



ちなみにここで大事なのは「子どもの興味関心ごと」をサポートするというところです。
興味関心のないところを「できるから!」って無理やりやらせると、また別の弊害が起きちゃうので^_^;



おむつの話で言えば、排泄した時の皮膚感覚が「不快」と感じる事、そしてオマルで排泄してすっきりすること、それを大人が一緒に喜んでくれる事を「快」と感じる事・・・・この繰り返しがあるから、子どもは習慣になっていくんですよね。
(「不快」を感じなければ、「快」を感じることはできませんもんね♪)




こうやって考えると日本のあちこちに溢れている子どもの発達の育児書は、「日本のやり方・考え方」でしかないのだなぁと思います。
でもそれが決して間違いと言う事ではありません。
単に「ひとつの考え方」でしかないということ。

ただこれを「全てが正しい」と思いこんで、その通りに子どもを仕向けようとしたら、子どもも自分も苦しくなっちゃうし、もしかしたら子どもの可能性だって狭めているかもしれないんですよね。

世間のガイドラインにいかに沿うか・・・に焦点を当ててしまうと、「できた結果」ばかりが気になってしまいます。

でも子どもの表情や行動をよーーーく観察して「こんなことやりたいんだ!・・・やらせてみるか・・。ぎゃーーー!!まだ無理だったか!でもこの方法ならイケるかも?」とか「こんなことが面白いんだ!なんで?なんで?」と子どもの興味関心に大人が興味関心を持ってサポートすると子育ての「過程」が楽しくなるんじゃないかなと思います♪

そしてそれが子どもの可能性を広げることに繋がるのだと思います。

そのためにも自分の「当たり前」を1度疑ってみるといいかもしれませんね(*´∀`*)

ただ、そうはいっても全てにおいて、子どもの興味関心ごとにつきあっていたら身が持ちません(笑)
先ほどのオムツの話も、数カ月の期間とはいえ0歳児の赤ちゃんを頻繁におまるに座らせるのを真剣にやったら、気が狂ってしまう人が多いかと(´∀`)


そこは適当に「まぁいっか♪いつかまたね」と流す事も大事ですよね☆
子どものために一生懸命になりすぎて自分がやつれてしまったら本末転倒だし、子どもの要求に100パーセント応えることが良いわけでもないので。
「思い通りにならない」ことも大切な経験ですもんね。



自分も子どもも楽しく♪子育てができたらいいですね!




  


オムツが外れるそのわけは・・・

2013年11月13日

 河野嘉恵 at 11:44  | Comments(0) | 可能性を信じる


先日、子どもにについて勉強させていただいている所で、0~2歳の子どもがいる保育現場に入らせていただく機会がありました。

そこでカルチャーショックを受けました。


長年保育士をやっていた私が、「ありえない」と思っていた事がそこで起きていました。





「ここの子どもたち、1歳前後にはオムツが外れるんですよ。もちろん大便もOKです」




ええーーーー!!!
なんですと!?
そんな話聞いたことない!!


もちろん失敗することはあるけど、大抵はオムツはその時期には外れるんだそうです。


それはなぜか?




その話をする前に質問です。
皆さんは、お子さんの使用後の紙おむつを触った事がありますか?
もしくはCMのように、紙おむつに子どものおしっこと同じ量のお湯をかけて、そのあとを触った事がありますか?

ほんとCMの広告どおり!!
びっくりするくらいサラッサラ!なんですよね!!



ということは



「子どもはおしっこしたことがわからない。皮膚感覚として感じる事が出来ない。排泄感覚がわからない。」
ということなんですよね。

その状態を1年以上・・・もしくは2年近く続けておいて、自我がしっかりしてきた時にいざトイレトレーニングをしましょうとなっても、それは難しいということでした。



なーるーほーどー!



ということで、そこではまだ0歳の時から、オマルに座るということを習慣づけていました。

その子のタイミングを計りながら、マメに座らせていたんですね。

するとおむつの中に排泄するという習慣ではなく、オマルに座る→排泄するという習慣が子どもの中に早くからできるそうです。





私・・・自分の中のトイレトレーニングの「当たり前」を完全に覆されました(笑)



私ね、「トイレの自立が早いことが素晴らしい」ということをメインに言いたいわけではないんです。
いや、もちろん素晴らしいんですけど、でもトイレの自立が早いかどうかは結果論なんですよね。




重要なのは何かと言うと・・・


「自分は子どもをどう扱っているのか?」ということなんです。






一体どういう意味なのか・・・続きはまた今度☆