あなたは何のために悩んでいるの?
今、あなたはどんな悩みを抱えて毎日を過ごしていますか?
「もう・・・それこそ盛りだくさん」
「あるっちゃあるけど・・・でも生きるってそういうもんじゃない?」
「うーん・・・特にないかなぁ」
きっとそれぞれに想いを抱えながら毎日を過ごしていることと思います。
私は今までの人生、振り返ってみると本当にたくさんのことで七転八倒しながら、悩んできました。
「それは大変だったね」と言われるものから、「いや、そんなに悩むほどのことでは・・・」とあきれられるようなものまで。
でも渦中にいるときは必死です。
時にはジタバタ苦しみながら。時には問題を見ないようにしながら。
これまでの私はいつも何かしらの悩みや問題を抱え、それを解決しようとして生きてきたように思います。
きっと今これを読んでいる皆さんも、「まったく悩んだことないし、問題なんてなかったよ」という方はごく稀で、ほとんどの方がいろんな思いをしながら、今この瞬間を生きているのではないでしょうか。
ここで一つ質問しますね。
この質問の答えに正解はないけど、ちょっと胸に手を当てながら考えてみてください。
私たちは常に問題に直面し、大なり小なり悩みながら生きている。
それなら
そもそも
私たちはいったい「何のために」悩みを抱えて生きているのでしょうか?
何 の た め に ?
きっと今、皆さんの頭の中には漠然と自分なりの答えがあると思います。
「とにかく問題を解決して楽になりたいから、悩んでる」
「ストレスを無くしたいと思うから、今悩んでる」
「笑って毎日を過ごせるようになりたいから、悩んでる」
どれが間違いで、どれが正解ということではありませんが、この答えって、あまりにも抽象的で、実体が良く分からないと思いませんか?
この実体のない、よくわからない答えのヒントになるお話を聴ける講演会が、8月9日(土)に飯山市民会館で行われます。
講師の名前は中村美幸さん。
彼女は今から十数年前に、大きな問題に直面し、苦悩していました。
なぜなら
初めてのわが子が生後4か月で余命3か月の宣告を受けたからです。
・・・この1行を読んだだけで、胸がぎゅっと押しつぶされてしまいますよね。
数年前、彼女の話を初めて聴くとき、私は正直自分のメンタルが持つか不安でした。
保育士だった私には、あまりにもリアルすぎて、聴くのがつらくなるのではないかと思ったからです。
保育士の私でさえそうだったのだから、これを読んでいるお子さんを持つお母さんなら、なおさらそう感じるかもしれません。
でも彼女は
「こんなにも苦しかった」「こんなにも悲しかった」
そんな想いを講演で伝えたいわけではありません。
誰もが夢であってほしいと願うような、この問題と苦悩の中から、答えを見つけたのです。
それは
「この子は可愛そうな子じゃない」
この言葉の本当の意味することを講演で聴いたとき、涙が止まりませんでした。
彼女の持つ、母としての深い、激しい、そして強い愛に心を打たれました。
でもね、ついこの前のことなのですが、そんな彼女とひょんなことから「無償の愛ってなんだろうね」という話をしていると、彼女はこう答えたんです。
「無償の愛っていうと、母親の愛っていうイメージだけど、私は本当は子どもの方が親を無償の愛情で包んでくれているんだと思う」って。
・・・!!
これぞ無償の愛情を注いだってことだろう!ということをしてきた彼女から出た言葉だからこそ、本当にズシンときます。
確かに講演で彼女は言っているのです。
「あの出来事は、私にとってつらく悲しいことだったけど、でもあの子は私に大きなギフトをくれた」
私は思うのです。
お子さんが彼女に注いだ無償の愛を、彼女はしっかりと丸ごと受け取り、味わったのだと。
そしてそれを幸せに生きるヒントとして、今私たちに伝えてくれているんだなぁって。
きっと中村さんのお話から受け取るメッセージは、聴いた方それぞれだと思います。
でも間違いなく、聴いた後は心の中に愛おしさが残ると思います。
お子さんのいる方なら、きっとわが子を抱きしめたくなることでしょう。
8月9日(土)飯山市民会館にて、10時開演11時半終了です。
参加費は1000円。
全ての方に聴いていただきたいお話です。
事前予約ですので、詳しくはこちらをご覧下さいませ☆
保育者向け現場実践型研修プログラム
私は今まで講師のお仕事というと、ありがたいことにご紹介をしていただいたり、主催者側からお声がけいただいたり・・・そんなご縁が多かったのですが、今年度よりそうした形以外のものに、少しずつシフトするようになりました。
それがこれ。
「保育者向け現場実践型研修プログラム」です。
中身はこんな感じ☆
私の名刺や屋号のロゴ、パンフを作っていただいているデザイナーのNさんに、冊子のデザインをお願いしました♪
自分で作ったのとは、明らかに説得力が違う!!
「え・・・?この中身って本当に私が書いたの?(・∀・)」としばし絶句。
これは実際に保育園・幼稚園に出向いて、先生方向けに行う連続研修プログラムです。
私は元保育士ですが、保育園・幼稚園の先生方に向けて、保育のスキル(園内外の環境設定や歌・運動・自然物遊びなど)については語れません。
その点に関しては、現役の先生方のほうがプロなんですよね。
なので、保育園・幼稚園を訪問させていただくたびに、完全におのぼりさん状態で「へぇぇぇ!ほぉぉぉおおお!すごいですねぇぇ!」(ボキャブラリーがなさすぎる・・・( ;∀;))とひたすら保育環境に感動して見て回らせていただいています。
いや、本当に先生方はすごい。
これだけのことを、毎日頑張ってやっているんだなぁと、頭が下がる思いです。
でも同時に先生方が明るい笑顔で子どもたちと一緒にいるその後ろで、沢山のプレッシャーに押しつぶされそうになっていたり、言えない悩みを抱えていたり、子どもが好きなのに、うまくパフォ-マンスができなくてこの仕事を続けられなくなったり・・・・そんな姿があるのも私は知っています。
きっと子どもたちに支えられながら、何とかぎりぎりのところで頑張っている先生も多いのではないでしょうか。
誰が悪い・・・ということではなく、単なるボタンの掛け違えだったり、相手に対しても自分に対しても勘違いしていたために起こる負の連鎖。
でも渦中にいるときは必死だからわかりません。
私もこの負の連鎖に嵌まった時は、本当に苦しかった。
この保育者向け現場実践型研修プログラムは、そんな当時の私が知りたかったことを詰め込んだ内容になっています。
学ぶだけではなく、実践、フィードバックもサイクルにした、連続研修です。
そのために一方的に内容をお伝えするだけではなく、意見交換・ライブセッションも行います。
だからこの研修中は、先生方の感情の揺れ幅が大きいです。
感動したり、喜び合ったり、隠していた痛みに気が付いて苦しくなったり、一緒に心を痛めたり、感謝を伝えたり受け取ったり・・・・
仲間たちとそんな感情の分かち合いをしながら、とことん自分と向き合ってもらいます。
だから研修させていただく私も、毎回準備をしながらも「どんなドラマが待っているんだろう?」とドキドキしています(笑)
でも間違いなく毎回、先生方の真摯な気持ちや、不安の奥にある優しさや誠実さに触れて、感動するのです←泣きそうになる人
そして
私のこの研修プログラムを、採用するという決断をしていただいた園長先生方の懐の大きさには、本当に感謝と尊敬しかありません。
個人園で、複数回にわたる職員の研修プログラムを取り入れるということ自体、この業界ではほとんど前例がないことなのです。
園の子どもたちに対する愛情、そして職員に対する信頼・・・・本当に素晴らしいなぁとお話しさせていただくたびに思います。
だから私もその想いに応えたいと思ってやらせていただいています。
そし今現在、てこの研修プログラムを知っていただくための仕組みづくりや、内容の精査、細かい文書つくりなどまだまだ地味な作業が続いています(笑)
でも多くの園に届くように、こういった目立たない地味な作業が大事なんだろうなぁとつくづく思います。
もっと沢山の先生方の笑顔に出会うために、少しずつ積み上げていこうと思います。
この研修プログラムのことを相談した方々に言われた中で特に多かった言葉。
それは
「全てを受け取る覚悟をする」
・・・ひしひしと心にしみこんでいます。
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で、私どうしたい?2
さて、前回の記事で「(いろいろあるけど)で、私どうしたい?」という問いを持つことで、「自分の思うままに、自分を動かしていい」という許可を出してみませんかとお伝えさせていただきました。
詳しくはコチラ
私は普段講師をしながら、1対1の相談セッションをしています。
セッションではこの「私どうしたい?」がわからない、もしくはいくつかあるけど、ピンとこない方が沢山いらっしゃいます。
今回の記事はそんな「私、どうしたい?」がわからない方へ、メッセージのつもりで書いてみました。
「私、どうしたい?」という問いを持った時
単純に「わー!考えたことなかった!」という方は、ちょっと考えてみるとぽろぽろ出てくるのですが、「考えても何も思いつかない」という方、または「あることはあるけどでもこんな些細なことしか・・・」と落ち込む方、または「考えてみたら、苦しくなってしまった」という方も一定数いらっしゃいます。
全てではないけれど、そういった方々の多くに共通していること
それは・・・
今この瞬間、自分が何を感じているのかわからない
こういう方が、本当に多いなぁと思います。
たとえば
過去にとても傷ついたり悲しかった経験があると、同じ感情を味わいたくないと、自分の感情に蓋をしてしまっている人。
そういう方は、マイナスの感情に対してとても鈍感です。
悩みを聴いてほしくて話しているのに、その悩みを他人事のように淡々と話したり
「こんなことを気にするなんておかしい」と外では明るく振舞いながら、内面ではマイナス感情をなかったことにしたり
だから悩んでいる人にも、心から親切のつもりで「そんなこと気にする必要ないよ」と説得しようとしたり
本当は傷ついて悲しかったのに、それを悟られないように(悟られたらもっと傷つくような気がするから)、もっともらしい理論を並べて相手を説得しようとしたり
そういう方は、自分の感情がマヒしていることに気が付いていないことが多いです。
ちなみに私はこのタイプかな(・∀・)
他にも、他者の目を気にする人もやっぱり「自分が何を感じているのかわからない」という方はとても多いです。
問題を起こしてはいけない、迷惑をかけてはいけない・・・だから自分の感情や意欲を二の次にする。
こういう選択の仕方をしてしまうということですね。
でも問題を起こさないように選んだ選択の結果、不思議なことに手に入るのは、大して嬉しくもなんともない現実なんですよね。
例えば
他人のご機嫌ばかりうかがっていたら、喧嘩は起きなかったけれど誰とも心を通い合わせられている実感がないとか。
すごく気を遣って接していた相手が、別の何も考えていないような無邪気な人のほうを可愛がっていたとか。
相手のペースに合わせていたら、相手には好かれたけど、自分の時間が無くなってしまっていたとか。
他人の目が気になるというのは、他人との関係においてマイナスの感情を感じないようにするということ。
でもそうやってマイナスの感情を感じないように選んだ結果が、実はプラスの感情をも遠ざけてしまうということなんですね。
これをし続けていけば、当然自分が何を感じているのか、わからなくなってしまいますよね。
他にもいろんなパターンがあると思うのだけど、結局は自分のしたいこと・・・つまり心が動くものがなんなのかわからないということは、自分の心を動かしていなかったということ。
どうして心を動かさなかったのかは、痛みや悲しみといったマイナスの感情から、自分を遠ざけるための手段にしていたからだと思うのです。
私がこのことに気が付いたとき、思ったこと。
それは
「そうまでして、自分を守りたかったんだなぁ」ということ。
傷つかないように、悲しまないように、楽しむことを奪ってまで、自分を守ろうとするイメージが頭の中に浮かんだとき、なんだかそんな自分が滑稽で可愛いなと思ったりしました。
それと同時に「これが自分を愛するってことなんだろうな」とも思ったんです。
そこまでして自分を守りたいということは、自分を愛しているからこそなんですよね。
だから思うんです。
自分を愛するが故に、自分を苦しませる必要はどこにもない。
自分から楽しむことを奪ってまで傷つくこと・悲しむことを避けることが、自分を愛するが故のやり方だとしても
それが心の奥底で本当は苦しいと思うのならば、やっぱりそのやり方を変える必要があるんではないのかい?と。
自分から楽しむことを奪わずに与える。
傷つくこと、悲しむことを避けずに、「そうなっていいよ」と許可する。
つまりマイナスの感情を避けるために、プラスの感情を受け取ってこなかった。
でも今度は
プラスの感情を受け取るために、マイナスの感情も受け取るということです。
「それができればこんな苦労はしないよーーー」
という声が聞こえてきそうですが(ノ∀`)
でもそういうことなんだと思います。
マイナスの感情を受けとる・・・私は結構これを軽いノリでやってます。
「これやってみたいなー・・・。でも・・やったら、失敗するかも。恥かくかも。そうなったら結構・・・いや、かなり凹む。絶対凹む!・・・・・・・でも・・・まぁ・・・・そうなってもいっか」と。
凹んでいい
泣いていい
傷ついていい
恥ずかしくなっていい
そうやって自分に許可を出して、マイナスの感情を抑え込んだり感じたりしないようにするのではなく、「いいよいいよ来なされ」とウエルカム状態にしておくのです。
苦しくなるのは、マイナスの感情に意味づけをするから。
凹んではいけない
泣いたら負けてしまう
傷つくなんておかしい
恥ずかしい思いをするのはみっともない
そうやってマイナスの感情に「それは間違っている」「それはおかしい」と勝手に意味づけをするからしんどくなる。
しんどいから自分の心を守りたくなる。
でもレッテルを張らずに、裁くこともせずに、「そうなっても大丈夫だよ」と自分に許可を出せたなら
実はあんなに怖がっていたことが、意外と何でもないことがわかってくる。
私のセッションを受けた方の中に、この質問をされたことがあると思います。
「もし仮に、そうなったとしたら、あなたにはどんなことが待ち受けているの?」
そうすると、大抵のクライアントさんは「・・・!!」と口ごもります。
怖いと思っていたものの実体が、自分でもよく分かっていないことに気付くからです。
「あんなことが・・・こんなことが・・・」と答えるクライアントさんも、急にトーンダウンします。
話しながらそんなに大したことではないということ、それかとんでもなく起こる確率の低い妄想に、自分が踊らされていることに気が付くからです。
うん、意外と大丈夫だし、何とかなるのですよ(・∀・)
だから一生懸命自分を守らなくても大丈夫。
ただ「なんとかなるやろ」と自分を信頼すればいい。
なんとかなるんですよ。
だって今まで間違えたやり方で自分を守って、散々しんどい想いをしてきたあなたは、今こうして無事に生きているのだから。
というわけで
自分を信頼して、自分の思うままに自分を動かしてみませんか☆
大丈夫!
あなたは自分が思う以上に、とっても強いのです(*´∀`*)
で、私どうしたい?
6月の終わりに発行したメルマガの内容です☆
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大人になると、本当に月日が流れるのは早いなぁと思います。
小学生のころは、あんなに1日が長く、そしてひと月が1年のように感じられたのに不思議ですね。
こんなふうに時が過ぎるのが早いと、「あれ?もう今年ももうじき後半戦?なにもやっていないのに~」と思うこともたくさんあるかと思います。
日常の忙しさに振り回されていると、自分が何をやりたかったのか、どう過ごしたかったのか、何を計画して実行したかったのかついつい忘れてしまいます。
そして1年の終わりには「あーあ・・・今年もあっという間に終わってしまった」なーんてことありますよね。
できない理由・・・たくさん出てくると思います。
いかにも「最もな理由」がこれでもかこれでもかと(笑)
そうやって理由を挙げてくると不思議なことに、「やりたかったこと」が「まぁ仕方ないよね。できなくても」と自分の意識の中で変わってくるんですよね。
つまり「やりたかった、やってみたかった」が「どうでもいいか。できなくても死ぬわけじゃないし」に変換されてしまうんです。
なぜわかるかというと、私もそうだったから(笑)いや、今もそういうとこあるか(ノ∀`)
でもね、それってもったいないのでは?と思うのです。
「やってみたかったこと」「楽しそうなこと」を、「仕方ない。できないんだから」と自分の中に無意識に積み上げていくことで、本当に「何もできなかった」生き方になるからです。
だから私はいつも自分にこんなことを質問しています。
「(いろいろあるけど)で、私どうしたい?」
この答え、自分のために○○したいでもいいし、家族や誰かのために○○したいでもいいんです。
それこそ「よし、今は何も考えずにとにかくコーヒー飲んで一息入れよう」とか「あと10分だけ頑張ろう」とかそんな小さなことでいいんです。
・・・というより、そんな小さなことからしたほうが良いのです。
大事なのは何をするかではなく、「自分がやりたい、やると決める」という意識。
誰かのせい、時間のせい、出来事のせいにするのではなく、自分で決めるという意識とは、言い換えるなら、「自分の思うままに自分を動かしていいという許可」です。
今日という日、あなたはどうしたいですか?