約束を守りたい
前記事「2014年幕開け」で、構想をカタチにする1年にします、自分の中にとんでもなく凄い光景や物語が見えるんです・・・ってなことを書きました。
その記事では希望が見えている未来について書いたわけですが、今日は真逆の絶望の未来について書きたいと思います。
「こんなんなるのだけはやだーー!(((;゜Д゜))」ってやつですね☆
私のこれだけはいやだーー!は
・・・・・後で書くとして(・∀・)
こっちの切り口から行きまーす☆
私はプロフィールにもありますが、長野市公立保育園で保育士をしてきました。
いわゆる地方公務員だったのですが、その仕事を辞めて今の講師やコーチの道を選びました。
よく聞かれるのが「どうしてこの仕事を辞めたの?」という質問です。
そりゃそうだ。
このご時世に安定した、しかも保育士という仕事を嫌になったわけでもないのに、なぜ辞めるんだという話ですよね。
これはセミナーとかでも毎回お話している事なんですが、保育士をしながら思ったのは「子育てはやり方だけではない、それよりも在り方が重要なんだ」ということだったんです。
だとしたら子育ちに関わる大人たちが元気でハッピーになることで、子どもたちはその姿を見て「大人になるっていいな」「未来って楽しそう」と自然と思えるようになる。
それならまずは保育園の中の保育だけでなく、大人たちが元気になるお手伝いをしたいと思いました。
そしてそのためには、お手伝いをする自分がまずは元気でハッピーでいる事・・・つまり「自分らしく生きる」ことが大事なんだなと。
話は元に戻りますが、私が「こんなんなるのだけはやだーー!(((;゜Д゜))」と思うこと。
それは
「食べるためだけに生きる」ということです。
なぜなら「勝手に」子どもたちと約束したんです。
私は「自由に生きていいんだよ。もっと夢を描いていいんだよ」と胸を張って子どもたちに言える大人になるって。
そのために私は自分がまずは元気でハッピーに自分らしく生きようと思いました。
コレ、3年前夢を持てなかった〇〇ちゃんとそんな約束を交わしたとか、そんな美しいエピソードを持ち合わせているわけではありません。
あくまでも私が「勝手に」思って「勝手に」約束しているだけです。
多分
私一人だけの事を考えれば、食べるために生きることになったとしても、不安や不満を持ちつつ、生きていくことはできると思います。
「できる」んです。
「できる」んだけれども
子どもたちに胸を張って「自由に生きていいんだよ。もっと夢を描いていいんだよ」って言えなくなるんだって思った時、考えただけで悔しくて悲しくて涙がでてくるのです。
だって
「自由に生きていいんだよ。もっと夢を描いていいんだよ」って言うことだって「できた」はずなのにって。
選ぶ事が出来たのになぜ選ばなかったんだろうって。
前記事で書いた自分の描く先の光景にわくわくするのと同じくらい、この後悔する感覚は自分を動かす大きな原動力になってます。
※補足ですが決して「食べるために生きる」方を批判しているわけではありません。私が勝手に子どもたちと約束したことを果たせないイメージが「食べるために生きる」ということだと捉えていただければ嬉しく思います。
というわけで
今日もはりきって仕事をしてまいります♪